【書評】『「つながり」の戦後文化誌 労音、そして宝塚、万博』長崎励朗著/河出書房新社/2310円
【評者】井上章一【国際日本文化研究センター教授】
バッハやベートーベンの音楽を聴けば、自分は成長する。りっぱな人、えらい人になれる。そう勤労青年たちの多くが、本気で思いこむ。そんな時代が、かつてはあった。敗戦後しばらくのあいだは、クラシック音楽による人格の陶冶(とうや)という観念が、ゆきわたっていたのである。中学しかでていないような、はたらく青年たちに。
だが、一九五〇年代のなかごろには、こういう考えがおとろえた。労働者たちは、だんだんクラシックをかえりみなくなる。しだいに、ジャズやタンゴへ興味をうつしていった。一九六〇年代には、当時のいわゆる歌謡曲をおいかけるようになっている。
クラシックへのこだわりが弱まったこの時期に、勤労者たちの学歴は高くなっていた。中学しかでていない青年はへり、高校まで進学した者が、ふえている。あるいは、大学へいく者も。そう、そんな高学歴化の時代をむかえてからなのである。クラシックへの期待が、地におちたのは。
そんなことが、どうしてわかるのかと、いぶかしく感じる読者もおられよう。しかし、それは“労音”が勤労者たちを音楽会へ動員するいきおいのうつりかわりを見ていれば、読みとれる。
都市ではたらく青年たちに、音楽鑑賞の機会をあたえる。“労音”はそのためにもうけられた団体である。そこでくりひろげられた集客数等の推移をながめれば、事態は明白である。当初、あこがれられたクラシックは、たしかに人気をおとしていた。
では、どうしてそんな現象がおこったのか。そもそも、なぜバッハなどに、一時的とはいえ、人間的向上の可能性がたくされたのか。教育社会学にたずさわる著者は、そこへ分析のメスをいれていく。そして、音楽的教養主義の戦後的な展開を、えがきだした。
“労音”の前史に、ナチズムや宝塚少女歌劇を見いだす発見は、新鮮である。出会いの場としてこの組織をとらえるまなざしにも、今後のゆたかな可能性が、感じられた。
※週刊ポスト2014年3月21日号