2013年のNHK紅白歌合戦で松田聖子とデュエットし、注目を集めたクリス・ハート(29才)。同年、日本の歌謡界でデビューし、約1年で紅白に出場するまでに上り詰めた。
そもそも彼は、なぜ、J-POPアーティストを目指したのか。父は音楽が大好きな警察官で、母はサルサシンガーを目指したこともあるという両親のもとで育った彼だが、幼い頃は歌手になろうとは想像もしていなかった。
「ぼくの家族や親戚は歌が大好きで、ゴスペルやロック、クラシックなどを、集まるとよく歌っていました。でも、ぼくはとてもシャイで、『入っておいでよ』と誘われても尻込みしちゃうほうでした。みんな、歌がとてもうまかったので…」(クリス・以下「」内同)
ところが12才の時、たまたま家のテレビで見た日本の歌番組に衝撃を受けた。
「Kiroroさんの『未来へ』が流れてきて、なんてすごいんだと思ったんです。米国にはジャズやロック、クラシックなどいろいろなジャンルがありますが、J-POPはクラシックやロックなどさまざまなジャンルのいいところを集めて作られている。
ロックの曲なのに、アレンジはクラシック風にバイオリンが入っていたりして、そういう米国にはないものが、おもしろくて、歌詞の意味はわからなかったけれど、心にグッときた。この時からJ-POPの魅力にとりつかれたんだと思います」
アメリカでは、在留邦人向けに日本のテレビ番組がケーブルテレビでいくつも放送されている。その中の歌番組で彼はKiroroやEvery Little Thing、LUNA SEAなどを知り、真似して歌い、日本への憧れをふくらませた。そして、13才の時に茨城県新治郡新治村(現在の土浦市)で2週間のホームステイを体験。その時受けた温かい歓迎ぶりに感激し、いつか日本に住もうと決意した。
「ホームステイ前の12才の時から日本語を学びはじめ、日本語が少し理解できるようになると、J-POPの歌詞のすばらしさも徐々にわかるようになりました。アメリカの歌よりも、ずっと内容が深いんですよ。愛や恋だけでなく、家族への思いや周りの人への感謝、故郷への切ない想い…ぼくはJ-POPみたいな音楽を作りたかったんだと気づいたんです」
そして大学を中退するも、J-POP好きの仲間とのバンド活動や、作詞作曲をしながら、J-POPのアーティストになる夢を持ち続けた。
「でも、アメリカではうまくいかなかった。日本語を使う職業だからと、空港の警備や警察の仕事についても、結局、まったくひと言も話さないで一日が終わるとか。これではダメだと思いました。それで、“日本へ行ってミュージシャンを目指す”と決めて、両親に話しました。ふたりとも、“やりたいことをやりなさい”と理解して励ましてくれたけれど、心配していたと思いますね」
※女性セブン2014年3月20日号