2011年3月11日午後2時46分。ソチ五輪金メダリスト・羽生結弦選手(19才)は仙台市内にあるスケート場「アイスリンク仙台」で東日本大震災の被害にあった。
当時、高校生だった羽生は被災後、こんな時にスケートなどしていていいのか、ボランティアに行ったほうがいいのではないかと悩み、幾度となく競技をやめようと思ったこともあったという。
しかし、そんな彼を今に至るまで支えてきた出会いもあった。それは震災から3か月後に石川・金沢で行われたアイスショーでのことだった。
「会場で結弦くんに、“裕熙(ゆうき)、知ってるよね?”って声をかけたら、“そりゃ忘れないですよ”って言ってくれたんです」
そう語るのは坂田俊晃さん。長男・裕熙さん(19才)は羽生と小中学校の同級生だった。
「裕熙は自閉症で特別学級だったんですが、普通のクラスと交流する場があるんです。その時に一緒になることがあって。学校行事でスケート教室があった時も、結弦くんは親身になって教えてくれたんです」(坂田さん・以下「」内同)
中学卒業以来、交流の途絶えていた羽生と裕熙さん。震災から1か月後、友人の助けがあって、坂田さん一家は金沢へと転居したが、ある時、アイスショーで羽生が来ることを知った。
坂田さんは、羽生と裕熙さんのツーショット写真をプリントしたうちわにメッセージを書いた。
<結弦くんの活躍に勇気をもらった>
羽生はその言葉に「自分の気持ちが届いてうれしい」と自然に笑みがこぼれたという。坂田さん一家の言葉が、競技を続けようか迷っていた羽生を救ったのだ。
そうして大スターになっても変わらぬ心優しい羽生を見た坂田さんは「何かできることをして応援したい」と思った。そして坂田さんは『羽生選手を応援する会』を発足した。
不定期で発行される会報は20号を超え、一家との結びつきも強くなった。現在、市内の授産施設に通う裕熙さんは施設の工房で作った餃子を羽生に送っているという。
「結弦くんは餃子が好物なので送ったら、“おいしかった”と連絡があったので、それ以来、年に何度か送っています。ソチの前にも送りましたよ。結弦くんも遠征先からロシアのチョコレートや中国で買ったパワーストーンのブレスレットやアクセサリーを送ってくれました。お母さんが好きですからね」
※女性セブン2014年3月20日号