「誤りを認めない指導者に、新しい未来を開いていくことなどできない」──3月1日、独立運動記念式典で韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は日本をそう批判した。その言葉、そのまま朴氏にお返ししよう。韓国軍こそ、ベトナムで何をしたのか。現地取材で判明した韓国軍による蛮行を明かす。
ベトナム戦争で派遣された韓国軍は、1966年1月から2月にかけてビンディン省ゴダイ集落で1004人の民間人を虐殺した(ゴダイの大虐殺)。
ベトナム中部のクアンナム省のフォンニャット村は、非常に小さな農村だ。ここでも韓国軍によって虐殺が行なわれた。当時14歳だったトワン・ヴァン・ディエップさん(60)が涙ながらに語った。
「早朝、100人以上の韓国兵が突然押し入って来た時、私は慌てて家の中に逃げ込みました。家には両親と6歳の弟がいましたが、動揺した弟は私たちの制止を聞かず家の外に飛び出てしまい、韓国兵に撃ち殺されました。まだ幼い弟を殺された両親と私は恐怖と悔しさに震え、ただ家の中で息を潜めるしかなかった。
隙間から外の様子を窺うと、40人ほどの村人が一か所に集められ、銃弾を浴びせられているのが見えました。やがて私たち一家も見つかり、外に連れ出され、両親を目の前で射殺されました。
逃げようとする私にも銃を乱射してきました。右足に銃弾を受けて倒れ込んだ私は、死んだふりをして韓国軍の襲撃をやり過ごすことができたのです。韓国軍は民家に火を放ち、村全体を焼き払いました」
フォンニャット村周辺では74人が犠牲になった。わずかな生存者となったディエップさんは過去を忘れようと努力したが、「40年以上経った今でも心の傷は癒えない」と声を震わせた。
さらに北上すると、ベトナム戦争最大の激戦地のひとつ、ダナンに着く。そこから20キロメートルほど南へ下るとハミ村がある。1968年2月25日、135人もの民間人が無差別に殺された「ハミの虐殺」の地である。
犠牲者の慰霊廟が建てられていた。荒れ果てた野原に建つ慰霊廟の横には、犠牲になった135人全員の名前が彫られた石碑があった。女性が97人も含まれ、生年月日から紐解くと0~9歳までの子供が57人も確認できた。
殺戮と破壊──これがベトナム戦争で韓国軍が行なったものだと、現地の人々は口をそろえた。
※週刊ポスト2014年3月28日号