村田兆治や桑田真澄、最近では松坂大輔など、数々の日本人投手の肘にメスを入れたフランク・ジョーブ博士が亡くなった。生前、ジョーブ博士への取材を敢行し、5日間ほどの短期セミナーを2度受けた経験を持つスポーツライターの永谷脩氏が、靭帯を修復する「トミー・ジョン手術」について解説する。
* * *
日本人投手で初めて博士の手術を受けたのは、1979年、ロッテの三井雅晴である。三井は1974年、抑えの速球派として新人王になった。しかしその後はヒジ痛に悩まされ低迷。そして藁をも掴む思いで、紹介状もなく、メジャー専門誌だけを頼りにジョーブ博士を訪ねた。手術は成功した。
博士からすれば、「手術そのものはそんなに難しいものではない」という。
「問題は術後のリハビリを、いかに我慢強く続けられるか。完治まで3年はかかる。しかし選手は少し良くなると、すぐ無理をしたがる」
危惧通り、三井も早く復帰したいという焦りから、余分にトレーニングをしてしまった。やればやっただけ結果が出るわけではないと知った時にはもう遅く、実働8年、29勝28敗22Sの成績しか残せなかった。
この手術から4年後、三井にとってロッテの先輩にあたる村田兆治が同じくヒジを痛め、ジョーブ博士の手術を受ける話が持ち上がった。その時三井は、手術を受けることを勧め、自分の失敗を正直に話している。村田は忠告を聞き入れ、術後はリハビリに専念。「輪ゴムを10cmくらい動かすというようなリハビリは、イライラの連続だった」と、35歳で復活した時に話していたのを思い出す。
その後の村田の復活劇(通算215勝を達成)は周知の通りだ。この成功により、「ヒジや肩を壊したらジョーブ博士を訪ねろ」と言われるほどになり、ヤクルトの荒木大輔、巨人では水野雄仁、香田勲男、桑田真澄らが、手術を受けて再起。まだ日本では、選手の体にメスを入れるなと言われていた時代だけに、画期的な出来事だった。
※週刊ポスト2014年3月28日号