オープン戦で絶不調だった今年の阪神タイガースに「暗黒時代」の再来を危ぶむ声が少なくない。かつては野田浩司、オマリーなど、放出した選手が移籍先で大活躍した時代もあった。しかもオマリーを放出したあたりから、外国人に対する“眼力”がなくなる。連れてくる外国人が、軒並み期待はずれに終わるのだ。
まずは1994年にやって来た、メジャー通算226本塁打という触れ込みのディアー。確かに春季キャンプの打撃練習では凄まじい飛距離の打球を見せ、球場には「ディアーネット」が設置された。しかし開幕後は変化球をことごとく空振りしまくり、打率ではなく「三振率」が.396に到達。“2億7000万円の大型扇風機”と揶揄された。
1995年に入団したグレン、クールボーはそこそこ活躍したものの、1996年には揃って不調に陥り同時期に解雇。慌てて獲得したマースとクレイグも、「打ってクレイグ、頼んマース」という見出しの記憶だけを残し、1年持たずに帰国した。1シーズンで4人外国人がいなくなった。
そして1997年、未だ語り継がれる“伝説の助っ人”がやって来る。ミスター・レッドソックスと呼ばれた大物、グリーンウェルだ。ところがこの男、5月11日の巨人戦で自打球を右足甲に当てて骨折すると、「野球を辞めろという神のお告げ」という前代未聞の理由で突然引退。たった7試合の出場(6安打)で日本を去ってしまった。
阪神が外国人野手を獲得すると、「バースの再来」と騒がれることが多い。しかしその半数以上は、「“バースの再来”の再来」ばかりだった。
“もう外国人には期待でけへん”と、1997年には4番に桧山進次郎を抜擢。しかし桧山は快調に安打ではなく「三振」を量産、シーズン150三振を喫して巨人・清原和博(152三振)と三振王を争う。ちなみに3位は新庄(120三振)というオマケ付きだった。
※週刊ポスト2014年3月28日号