高度経済成長期の1968年、岡本ゴム工業は日本理研ゴムと合併し、岡本理研ゴムと改めた。「オカモトリケン」の名は、後にコンドームメーカーの代名詞として認知されるに至った。
岡本理研ゴムは、1969年に当時の規格で0.03ミリという画期的な薄型コンドーム「スキンレススキン」を発表する。これを機に、あの手この手のセールプロモーション作戦に打って出た。まずスキンレススキン新発売時に東京、大阪、名古屋のあちこちの繁華街でこんなアドバルーンが上がった。
「0.03ミリのスキンレススキン 遂に発売!」
「使用感のないコンドーム 0.03ミリ スキンレススキン」
同じく東京、大阪、名古屋地区の団地で、合計30万個のスキンレススキンを無料配布。女性に大人気だったトシコ・ムトーの漫画「小サナ恋人」を使った、雑誌や新聞広告展開の注目度も高かった。
1973年の統計調査では、「日本のコンドーム消費量」が「8億1216万個」で世界1位に。しかも、2位のアメリカの6億4800万個を大きく引き離している。また、1977年の毎日新聞の避妊方法に関する調査でも、1位は「コンドーム」の78.9%。ダントツの支持を集めている。
コンドーム普及に大きく貢献したのが、5万店といわれた全国の薬局の約20%にあたる9000店を網羅した「スキンレス会」の存在だ。1971年にスタートしたこの組織は、こぞって「スキンレススキン」の販売に協力してくれた。
とりわけ、指でつくる「OKマーク」をコンドーム購買のサインにしたことは大きかった。店頭で「コンドームください」といわなくても、OKマークを示したり、ステッカーや看板を指させば商品が手に入るというわけだ。
販売協力に熱心な薬局には、相応の“ご褒美”が出た。ハワイ旅行、カラーテレビやステレオ、百科事典、高級洋酒……いずれも1970年代の庶民には垂涎の品々ばかりだ。
「スキンレススキン」の商品開発もめざましい。1970年代に、当時の規格で0.02ミリの極薄製品が登場している。これらは後年、ISO国際規格やJIS規格の改訂に伴って姿を消す。しかし、岡本理研ゴムの技術力が世界一だったからこそ、こういった極薄製品を開発でき、同社の売り上げに反映したとみるべきだろう。
また、当時はコンドームの訪問販売も一般的だった。家庭内のコンドームの在庫が切れた頃を見計らったかのように、ドアのチャイムが鳴ってセールスレディが現われる。彼女たちは「愛の小箱」と名づけられたコンドーム入りボックスを販売していった。
※週刊ポスト2014年3月28日号