今なおAMラジオの超人気番組として君臨する『オールナイトニッポン』(ニッポン放送・1967年~)。劇団『第三舞台』を結成し、新進気鋭の劇作家として注目を集め始めていた鴻上尚史さんに、ニッポン放送のディレクターが録音機を持って訪ねてきたのは1983年。
「“おもしろいことを言って”と言われて、マイクに向かっておもしろいことを言ったら、局に呼ばれて、金曜2部を任されることに。最初にディレクターと“番組はひとりでやる”と決めたんです。誰かと掛け合いにしたら、2人のおしゃべりをリスナーが横で聴いているみたいになるのがイヤで。
ところが、第1回目に“よし、かなりしゃべったぞ”と思って時計を見たら、15分しか経ってなくて! その時初めてその大変さに気づきました。当時は、前日に3時間打ち合わせをして、当日は18~22時まではがきを読んで、ネタを考えて、さらに打ち合わせ。放送終了後は、ディレクターとその日の録音を聴きながら、さらに反省会。それで1か月7万円、月に4本やってですよ(笑い)!!
だから、金曜1部に誘われた時は“もう無理”と断ったんです。それでも“ギリギリに来ていいから”と口説かれ、引き受けたら、結局、同じぐらい大変に、約束と違うやんけと。『どっちを選ぶ 究極の選択』や『10回クイズちがうね』も、最初の2週間はネタが来なくて、自分で考えて読んで笑ったりしていました。
それだけ時間と手間をかけて熱量が高かったから、おもしろかったんでしょう。『オールナイトニッポン』はぼくにとっては最高に楽しい遊び場でした。でも、1年半続けるのが限界で。“辞めさせてください”と頼んだら、“自分から辞めたいと言い出したパーソナリティーはきみが初めてだ”と言われたんです」
※女性セブン2014年4月3日号