保険会社のCMや宣伝文句で「2人に1人ががんになる」というフレーズが使われることがある。それを見て「確かに身近にもがんになった人がいるからな……」と不安になり保険に加入する人も少なくないだろう。『生命保険の嘘』(小学館刊。後田亨氏との共著)を上梓した大江英樹氏(オフィス・リベルタス代表)は、「それは行動経済学でいうイメージや経験に引きずられて判断を歪める『ヒューリスティック』という意思決定のプロセスが利用されている」と解説する。
* * *
保険会社のCMに見られる「身近な経験や感情に訴える」方法はヒューリスティックの1つである利用可能性バイアスが利用されているのではないかと思います。経験則によって判断するヒューリスティックの中でも、利用可能性バイアスはやっかいです。思い出しやすい出来事に引きずられ、記憶のバランスが崩れて予測に偏りが生じるバイアスのことを指し、ほぼ例外無く誰もが陥ってしまうからです。
身近な経験が、偏った予測や行動をもたらすことはよくあります。「火事で家を焼失してしまってから異常に火を恐れるようになった」──。不幸なことですが、これらに近い体験は多かれ少なかれあることです。私も小さい時に牡蠣にあたってひどい下痢を経験して以来、大人になってもかなりの期間、牡蠣が食べられませんでした(笑)。
直近に起きたことや報道されたものを見聞きすることで、影響を受けることもあります。大地震が起きると地震保険に加入する人が増えます。海外旅行に行く時に、旅行から帰ってきた人から「現地でスリに遭った」と聞けば、慌てて盗難保険に入るという人も多いでしょう。自分で見聞きしたり経験したりしたことで、危険と確率の捉え方が変わるのです。
「利用可能性バイアス」は巧みに様々な商売に利用されています。がん保険もその1つです。日本人の死亡原因第1位は「がん」ですから、周囲の誰かががんになったことがあるのはごく当たり前です。国立がんセンターの統計によると、男性が生涯でがんに罹る率は58%ですから「2人に1人」は間違っていません。
ただ、さらに詳しく調べると、がんに罹る人は60~70歳以降に急増します。50歳までの罹患率は2%、40歳までなら0.9%とかなり低い。さらに死亡率は50歳で0.6%、1000人に6人の割合です。
たしかに、(CMでよく見かける)がんに罹ったにもかかわらずそれを克服したエピソードは共感を呼びますが、それは身近な人ががんに罹ったことのある多くの人に対する利用可能性バイアスを利用しているのであって、確率とコストによる冷静な判断から遠ざけようとするものです。
※後田亨・大江英樹/著『生命保険の嘘』(小学館刊)より