バレンティンの少年時代の練習場
昨年、60本塁打の日本最多記録を打ち立てたヤクルトのバレンティンの出身地として知られるのが、カリブ海に浮かぶ人口15万人の島・キュラソー。地元でバレンティンはどんな評価を受けているのか、現地リポートする(取材・文/中島大輔 撮影/龍フェルケル)。
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2013年11月下旬、キュラソーの中下流階級が住む地区クロート・クアルティエールのグラウンドに2000人の現地住民が押し寄せた。日本で本塁打記録を樹立したバレンティンが故郷に凱旋したのだ。
笑顔で写真撮影に応じ続ける“英雄”を見ながら、少年時代に4年間指導したマルク・バン・ザンテンは感慨にふけった。
「小さな頃から純粋な男だった。16歳のときにマリナーズと契約すると、野球に必要な道具をチームに寄付してくれたんだ」
マルクの兄カリルは、バレンティンが15歳の頃から2年間監督として指導した。一番の思い出は16歳の一件だ。
「試合に遅刻しておきながら、『俺のポジションを取っといてくれ』と叫びながら走ってきたんだ(笑い)。でも規律を教えるため、遅刻者をプレーさせない決まりがあった。以降、ココ(バレンティンの愛称)は人として成熟していったよ」
今年初めに妻への暴行事件を起こしたバレンティンだが、この島では誰も責める者はいない。むしろ、島民の反応は逆だ。美しい街並が世界遺産に登録される首都ウィレムスタットを歩いていると、本塁打記録を称える看板やポスターが飾られている。3月2日、年に一度島を挙げて行なわれるカーニバルの喧騒のなかに、国旗と同じ紺色の車に「バレンティン、WE LOVE YOU」とペイントされている車があった。小さな島で大打者となったバレンティンの英雄ぶりが伝わってくる。
「ココはキュラソーの野球界にたくさんのドアを開けてくれた。彼のおかげで現在、野球をできている少年が数多くいる」
そう賞賛するのが、2004年アテネ五輪にオランダ代表の同僚として出場したチャイロン・イセニアだ。実際、クロート・クアルティエールのグラウンドにはバレンティンの寄贈した打撃ケージで練習する少年がいた。サイーノ・ヘンリケス、15歳のショートだ。メジャーの数球団が興味を示しているという。
「俺もココみたいになりたい!」
野球人たちがつなぐ、希望のバトン──。日本で偉業を達成したバレンティンを目指し、また新たなスター選手がキュラソーから生まれようとしている。
※週刊ポスト2014年4月4・11日号