死後3か月を経ても、やしきたかじん氏(享年64)を偲ぶ声が絶えない。“浪速の視聴率男”の異名をとり、30年以上にわたり関西のテレビ界に君臨した。多くの印象に残る顔を持っていたたかじんのさびしがり屋な一面を、ノンフィクション作家・角岡伸彦氏が綴った。
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祭壇には故人が歌手であったことを象徴するかのように、ト音記号のオブジェが屹立していた。祭壇中央の大スクリーンには、歌手のやしきたかじんがコンサートで歌う姿や、自らの冠番組に出演するシーンが次々と映し出された。
1月3日に食道がんにより64歳で死去した、たかじんを偲ぶ会が、3月3日、大阪市内で開かれた。
午後1時から、3700人ものファンが別れを惜しむべく長い行列をつくった。
午後6時半からは、安倍晋三首相、橋下大阪市長、建築家・安藤忠雄、作詞家・秋元康、ビートたけしらが発起人となった招待客限定の偲ぶ会も開かれた。関西をはじめ全国から、たかじんに縁が深い芸能人や政治家、マスコミ人ら約500人がそこに参加した。
「暴力バーに自分から行って、支払いのとき『安い!』言うて何倍も払う男やで! そんな人おる!?」
たかじんの冠番組で共演したトミーズ雅はそう言うと号泣し、あとは言葉にならなかった。夜の街をこよなく愛したたかじんの豪放磊落エピソードは枚挙に暇がない。同じく会場にいたたかじんと10年来の付き合いのある芸能関係者も、しみじみとこう振り返った。
「突然メール来てね、新地出るぞって書いてあるんですよ。そりゃ、飲み方はすごいですよー。朝帰りどころかマンションまで一緒に連れ帰って。私だけちゃいますよ、その時の仲間やホステスなんかも皆一緒に連れてくる。
ホントあの人は、わがままな寂しがり屋でねぇ。わざと人を試すようなことをするんです。一度なんか大晦日にハワイから電話をかけてきて、『風邪ひいたから、うどんを食いたい』と。こいつはどこまで我慢しよるんやろうと、限界までわがまま言うんです」
浅からぬ付き合いをした関係者が故人の思い出を涙ながらに語る──。そうした様子を会場の片隅で眺める男がいた。大手レコード会社・キングレコードの元幹部の竹中健三(73)である。会場で真っ先にフリーアナウンサーの宮根誠司からマイクを向けられた竹中は「この中で、一番びっくりしているのは僕だと思います」と答えた。
無名時代から、たかじんを知る竹中の偽らざる心境だった。
※週刊ポスト2014年4月4・11日号