【書評】『皿の中に、イタリア』内田洋子著/講談社/1600円+税
【評者】川本三郎(評論家)
長くミラノで暮す内田洋子さんのイタリアものエッセイを愛読している。暮しのなかに食を見る。食のなかに人を見る。人のなかに日々の喜びや悲しみを見る。本書にもまた食を通して知り合った愉快な、時に寂しいイタリア人が次々に登場する。
内田さんが暮すミラノには毎週金曜日に青空市が立つ。そこに三人の兄弟がテントで魚を売る店があると聞く。十一月の寒い朝、早速、兄弟の店に出かけて行く。海のないミラノには珍しく新鮮な魚が並んでいる。感激した内田さんは次々に買いこむ。気がついたら一人では食べ切れない量。そこで夜、近所の人や友人、知人たちを招いてパーティを開く。イワシを揚げ、イイダコを炒め、ロブスターを焼く。いつのまにか内田家の金曜日は魚の日になる。
食が人をつなぐ。内田さんは人なつこい。誰とでも親しくなる。ワイン作り、農民、トラックの運転手、カメラマン、船乗りら。仲良くなるとすぐ食卓を囲む。御大層な料理ではない。あくまでも庶民の食べもの。どれもおいしそう。魚をなんでも入れこんだ鍋、「山のイカ」(揚げたタマネギ)。ときには残りもののスパゲッティや固くなってしまったパンが御馳走になる。食文化が豊か、つまりは食べることを大事にしている国ならではだろう。
ある忙しすぎる有能なジャーナリストは食に時間をかけられない。ついに自分は人生を楽しんでいないことに気づき、仕事を辞める。「空港のバールで立ち食いする生活に、ほとほと疲れたのでね」。
四十歳を過ぎた保険外交員の女性はよく働き、よく喋り、そしてよく食べる。何かいいことを見つけては「お祝いしなくては」と食事に誘う。当然、太る。そのためか夫が家を出て行ってしまう。悲しいと泣きながらまた食べる。可笑しい。
内田さんはナポリにも、小さな漁村にも住んだことがある。なんと古い小さな船を買い、そこに六年も住んだこともある。イタリアの暮しに豊かに溶けこんでいる。
※週刊ポスト2014年4月4・11日号