【書評】『GAMA CAVES』オサム・ジェームス・中川/赤々舎/5000円+税
【評者】与那原恵(ノンフィクションライター)
湿り気を帯びた鍾乳洞。石灰岩が長い時間によって浸食された洞窟を沖縄では「ガマ」と呼ぶ。まるで生物の皮膚のような岩肌からポタポタと水がしたたり落ちる。地面には茶碗や薬瓶など、人間の生の痕跡が散らばっている。
沖縄本島南部に散在するガマは、熾烈きわまる沖縄戦の末期に住民や日本兵が隠れ、多くが理不尽な死を迎えた場所である。一九四五年三月から六月、日本軍の敗北は決定的だったにもかかわらず、無謀な戦争を続行し、住民が巻き込まれた。日本兵も徴兵制のもと、ここに送られた若者たちだ。
写真家のオサム・ジェームス・中川は、ガマの内部に残されたスピリット(精神)との「対話」をするようにシャッターを切った。あえてフラッシュを焚かず、懐中電灯の光をあて「闇」を浮かびあがらせ、死者たちの視線とも重なりあう写真集が作られた。米国生まれの中川は、沖縄出身の女性と結婚したことで、沖縄の傷と痛みの記憶を感じていったという。
遠く、ガマの入口に青い空が見える一葉がある。光も届かない暗がりで息をひそめた人びとは、爆音響く空をどんな思いで見つめたのだろう。
米国陸軍省による『日米最後の戦闘』は、南部一帯は戦車隊が暴れまわるのに「あつらえむき」だったと記している。洞窟に火炎砲を放射し、機関銃弾の河の中に「日本兵」を追いやった、と。しかし、米軍は日本兵と沖縄住民の違いに注意を払っていたとはいえない。事実、戦死者数は日本兵より沖縄住民が上回る。
中川は、コンピュータなどのテクノロジーを駆使しながら、ガマとの対話をさらに重ねていった。〈洞窟の闇からスタジオに戻り、霊たちを描きだすために〉。暗闇のなかに閉じ込められていたマブイ(沖縄言葉で「魂」)が静かに浮かびあがってくるようだ。沖縄では今もおびただしい遺骨がみつかっており、洗い清める沖縄人ボランティアが活動している。戦死者たちの声をかき消すように、今日も米軍機が飛ぶのだ。
※週刊ポスト2014年4月18日号