国民的長寿バラエティ『笑っていいとも!』(フジテレビ系)が3月31日に終了した。『タモリ論』(新潮社)著者である作家・樋口毅宏氏は、タモリが最終回終了時に「明日も観てくれるかな?」の代わりに何を言うか注目していたという。そして実際話された言葉について分析する。
* * *
テレビのお葬式ともいえる『笑っていいとも!』最終回で、その中心にいたはずのタモリは、何を感じていたのか。実は今回のことで、私にはますますタモリという人がわからなくなりました。
タモリは最終回直前、『いいとも!』とは何かと問われ、「観たことがないのでわからない」と答えました。黒澤明監督がアカデミー賞名誉賞を受けた時、スピルバーグやルーカスに囲まれながら、「映画というものがわからない」とコメントしたことに通じる、恐るべき境地です。
そして番組の最後に、タモリは大きな謎掛けを残しました。いつも「明日も観てくれるかな?」「いいとも!」で締めるかけ声を、最後にはどうするのか、かねて『いいとも!』ファンのなかで話題となっていました。私も「後番組も観てくれるかな?」「来世も観てくれるかな?」などと予想しましたが、まさかいつもと全く同じように「明日も観てくれるかな?」で終わるとは。
しかし、考えれば考えるほど、この言葉は謎です。これまで当たり前のように来ていたはずの『いいとも!』がある「明日」は、もう来ません。お昼にテレビをつければ『いいとも!』がある「終わりなき日常」は、もうないのです。
にもかかわらずタモリは、あえて「明日」という言葉を使い、私たちに「明日とは何か?」を問いかけて、去っていきました。
新たなものを生み出すために、しばらく私たちは、喪に服す必要があるでしょう。おそらく1クールで終わる新番組の後、3年ほど『いいとも!』の再放送をお昼に流す。実はそのなかに、こっそり復活した『いいとも!』の生放送が混じっているのだが、誰も気づかない。そんなドッキリこそ、タモリという神の復活劇にはふさわしい。
(樋口毅宏氏・談)
※週刊ポスト2014年4月18日号