芸能

彦摩呂 「○○の宝石箱や~」はマンネリ打開のためだった

彦摩呂が語る「○○の宝石箱や~」誕生のきっかけとは?

「○○の宝石箱や~」というおなじみのフレーズで、グルメリポーターといえばこの人、彦摩呂(47才)。明るいキャラクターとインパクトのあるコメントで、今やグルメ番組の顏となっている。リポートした飲食店は、のべ1万2千軒を突破しているという。新シリーズ企画「転機」、第1回となる今回は、歌って踊れるアイドルからタレントへの転身、そして「宝石箱」の誕生秘話までを、彦摩呂に語ってもらった。

――まず芸能界入りのきっかけですが。

彦摩呂:モデルをしていた20代前半のころ、『ナイスガイ・コンテスト』という全国の男性タレントを発掘する大会に出場したんです。自分たちで幕末塾という10人グループを結成して。このとき、準グランプリを獲ったんですよ。ちなみにグランプリは吉田栄作さんでした。その時に司会をしていた片岡鶴太郎さんのお口添えで、現在の太田プロダクションに所属させてもらったんです。

――幕末塾では、どんな活動を?

彦摩呂:下北沢で毎月1回お芝居をやっていました。舞台では、毎回違う題材で1日しか公演しないんです。下北沢駅前劇場にあふれるくらい人が来てくれて。CDデビューもさせていただきましたし、いろんなアイドル雑誌にも出させていただきました。秋元康さんがプロデュースを引き受けてくださったんですよ。ある意味、AKB48やおニャン子クラブと同門だったんですよ。ぼくは時々センターやっていたので、あっちゃんですかね(笑い)。

――そこから個人の活動に移っていくわけですね。

彦摩呂:幕末塾の活動は3年程度でした。“解散します”というのは特にしてないんですが、メンバーがそれぞれの分野で活躍していったという感じ。当時は本当に痩せていましたね、爽やかだったし(笑い)。ドラマや映画にも出させてもらって、事務所としては俳優として育てていこうという方針だったらしいんですけど。

――次第にリポーターをやるようになったんですね。

彦摩呂:そう、自分からリポーターやりたいんですと事務所に言ったんです。24~5才のころかな。見たこと体験したことを自分の言葉で表現してみたかったし、とにかく人が好きだったので色んな人とも会えますし。

――最初からグルメリポーター志望ではなかったんですか?

彦摩呂:まず朝の情報番組やワイドショーなどのリポーターもやらせてもらいました。その中に“食”というカテゴリーがあったんです。当時は食レポなんて言う言葉もない時代ですが、すごく興味があった。「どうやったら食べ物っておいしく見せられるんだろう」と。

最初に山田邦子さんの番組でお試しで使ってくれた時に、“駄菓子屋横丁”に行ったんです。エンゼルパイみたいなお菓子を手に取って、半分に割って、「うわぁ、クリーム、見て~」ってカメラに見せたりして、割と最初から上手だった(笑い)。テレビの向こうで視聴者によだれが出るように工夫しようというのが、自分の中に染みついているみたいで。

――まさに天性のグルメリポーター。

彦摩呂:だんだん楽しくなってきて、ある程度テクニックも見せられるようになって。そうなってきたときに、マンネリというものに襲われたんです。自分でVTRを見ていてもつまらない。“プリプリ”とか“サクサク”とか、ありふれた言葉で、全然オリジナリティーがないし。これは考えないとテレビから消えちゃうなと思ったんです。

――どうやって乗り越えたんですか?

彦摩呂:30代後半のころかな、たまたま北海道のロケに行って、魚市場の賑やかな市場食堂で海鮮どんぶりが出てきまして。その輝かしい新鮮な刺身たちを見て、「うわぁ、海の宝石箱や~!」と言うたんですよ。カットされるかなと思っていたら、字幕スーパーで大きく使ってくれたので、これはオッケーなんだと。

――アドリブで言ったんですか?

彦摩呂:そうです。なんとかオリジナリティーを出せないかなと思っていたんですが、その方法が浮かばないまま毎日のロケをこなしていて。マンネリを打開するために、もっと前のめりに仕事しようと思ってたんです。毎日ワクワクしようと。今までやったことをリセットして“初体験の自分”というのをキープしたまたロケに入って、海鮮丼をパッと見た時に、イクラがルビー、アジがサファイア、鯛がオパールみたいに見えたわけです。

 そうすると「うわぁ。海の宝石箱や~!」という言葉が自然に出てきた。そのときから自分が弾けたというか、枠を取り外せたというかね。よく考えたら、全然味の感想じゃないんですけど(笑い)。それから料理や味を何かに例えるという比喩を使い始めたんです。

――転機の瞬間ですね。では、最後に今後の目標を教えてください。

彦摩呂:グルメという分野でずっと健康で楽しく続けていきたいですね。和食がユネスコの無形文化遺産に選ばれたりして、食にますます注目が集まっていますから。すでにやらせてもらっているお店のプロデュースもそうですし、食品のプロデュースもやってみたい。あとはロケ大好きなので、70代になっても続けていきたいですね。

【彦摩呂】
1966年9月15日生まれ。大阪府出身。1988年、アイドルグループ・幕末塾の一員として『ナイスガイ・コンテスト』(フジテレビ系)で準グランプリを獲得。ライブ公演を中心に活動し、映画やドラマに出演。アイドルからタレントに転身後、情報番組のリポーターを中心に活動。特にグルメでは、料理を絶賛するセリフが物真似されるなど、人気グルメリポーターとして活躍中。

撮影■田中麻以

関連記事

トピックス

バスケ選手時代の真美子さんの直筆サイン入りカードが高騰している(写真/AFLO)
《マニア垂涎》真美子夫人「バスケ選手時代」の“激レアカード”が約4000倍に高騰中「夫婦で隣に並べたい」というファン需要も 
NEWSポストセブン
沖縄を訪問された愛子さま(2025年6月、沖縄県・那覇市。撮影/JMPA)
天皇ご一家が“因縁の地”沖縄をご訪問、現地は盛大な歓迎ムード “平和への思い”を継承する存在としての愛子さまへの大きな期待 
女性セブン
TBS田村真子アナウンサー
【インタビュー】TBS田村真子アナウンサーが明かす『ラヴィット!』放送1000回で流した涙の理由 「最近、肩の荷が下りた」「お姉さんでいなきゃと意識しています」
NEWSポストセブン
「ONK座談会」2002年開催時(撮影/山崎力夫)
《追悼・長嶋茂雄さん》「王・長嶋・金田座談会」を再録 2000年の夢のON対決にミスターが漏らした「ボクはもう御免。ノーサンキューだね。2度とやりたくありません」の真意
週刊ポスト
「寂しい見た目」の給食に批判が殺到(X /時事通信フォト)
《中国でもヤバい給食に批判殺到》ラー油かけご飯、唐揚げ1つ、「ご飯にたまご焼きだけ」と炎上した天津丼…日本・中国で相次ぐ貧相給食の背景にある“事情の違い”
NEWSポストセブン
来来亭・浜松幸店の店主が異物混入の詳細を明かした(右は来来亭公式Xより)
《“ウジ虫混入ラーメン”が物議の来来亭》店主が明かした“当日の対応”「店舗内の目視では、虫は確認できなかった」「すぐにラーメンと餃子を作り直して」
NEWSポストセブン
家出した中学生を自宅に住まわせ売春させたとして逮捕された三ノ輪勝容疑者(左はInstagramより)
《顔面タトゥーの男が中学生売春》「地元の警察でも有名だと…」自称暴力団・三ノ輪勝容疑者(33)の“意外な素顔”と近隣住民が耳にしていた「若い女性の声」
NEWSポストセブン
田中真一さんと真美子さん(左/リコーブラックラムズ東京の公式サイトより、右/レッドウェーブ公式サイトより)
《真美子さんとの約束》大谷翔平の義兄がラグビーチームを退団していた! 過去に大怪我も現役続行にこだわる「妹との共通点」
NEWSポストセブン
異物混入が発覚した来来亭(HP/Xより)
《「来来亭」の“ウジムシ混入ラーメン”動画が物議》本部が「他の客のラーメンへの混入」に公式回答「(動画の)お客様以外からのお問い合わせはございません」
NEWSポストセブン
金スマ放送終了に伴いひとり農業生活も引退へ(常陸大宮市のX、TBS公式サイトより)
《金スマ『ひとり農業』ロケ地が耕作放棄地に…》名物ディレクター・ヘルムート氏が畑の所有者に「農地はお返しします」
NEWSポストセブン
6月9日付けで「研音」所属となった俳優・宮野真守(41)。突然の発表はファンにとっても青天の霹靂だった(時事通信フォトより)
《電撃退団の舞台裏》「2029年までスケジュールが埋まっていた」声優・宮野真守が「研音」へ“スピード移籍”した背景と、研音俳優・福士蒼汰との“ただならぬ関係”
NEWSポストセブン
清原和博氏は長嶋さんの逝去の翌日、都内のビル街にいた
《長嶋茂雄さん逝去》短パン・サンダル姿、ふくらはぎには…清原和博が翌日に見せた「寂しさを湛えた表情」 “肉体改造”などの批判を庇ったミスターからの「激励の言葉」
NEWSポストセブン