俳優、歌手、最近はボランティア活動でも知られている杉良太郎は、数多くの時代劇に主演しながら人気絶頂のタイミングでみずから休業した。1983年に突然、宣言したテレビ時代劇からの休業について杉が語った言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづる。
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時代劇スター・杉良太郎の名を一躍世間に轟かせたのは、1967年のNHK時代劇『文五捕物絵図』だった。『ゼロの焦点』『張込み』をはじめとする現代劇も含めた松本清張原作を杉山義法・倉本聰といった気鋭の脚本家たちが時代劇化し、和田勉らNHKを代表する演出陣が映像に切り取っていった本作の主演に抜擢された杉は、当時まだ役者デビューして二年目であった。
その後、杉は『大江戸捜査網』の主役や『水戸黄門』の助さん役でスターとしての地位を確立する。が、いずれもシリーズの初期に降板した。そして人気絶頂の1983年には突然テレビ時代劇からの休業も宣言している。
「長くやっていると焼き直しばかりになる。何をやってもネタが全部同じ。テレビ局も映画会社も自助努力をしない。刑事ものが当たると刑事ものばかりになり、時代劇が当たると各局で三本くらいやって。みんなが同じものをやりたがることに抵抗があったんです。何でそんなに安易に作っちゃうのか、と。
『水戸黄門』も『大江戸捜査網』も私としては十分にやりました。一方で、テレビ局は当たっているから続けたい。それだけのことです。同じものを長くやっていたら私は伸びなかったです。役者として一番大事な時期に一つの役しかできない役者になってしまい、成長しない。次々とやりたいものがあるから、全部自分からやめたんです。
テレビ局からおろされたものは一本もないです。作品を良くするため、制作者との間で作品について揉める事が多かった。けれども私は何かにすがって生きていこうとは思わないんです。これを生活の糧にしようとする生活俳優じゃないっていう意識でいました。それで、テレビも突然やめてしまいました。
夜八時台の時間帯の人気時代劇を二本持っていましたが、同時に降りてしまったのです。話で聞くと簡単かもしれませんが、一年間、苦しんだんですよ。死ぬほど考えた。ゴールデンの時間帯を週に二本やっている役者はいないのに、自分からやめたわけですから」
●春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。映画史・時代劇研究家。著書に『天才 勝新太郎』(文春新書)、『仲代達矢が語る日本映画黄金時代』(PHP新書)ほか新刊『あかんやつら~東映京都撮影所血風録』(文芸春秋刊)が発売中。
※週刊ポスト2014年4月18日号