歯に衣着せぬ発言、エッセイが魅力の小島慶子(41才)が、『解縛(げばく)』(新潮社/1296円)と題した自伝を上梓した。サブタイトルは、「しんどい親から自由になる」。高齢出産の末に生まれた小島は、母から多大な愛情を注がれたものの、その愛情には「歪み」があり、ふたりの間には、葛藤が絶えなかった。本書にも著されているように、伝統的な中高一貫校へ通っていた時代のエピソードが、それを端的に物語っている。小島が、母との関係について語った。
* * *
私が通っていた女子一貫校には、富裕層の娘や名家といわれる家の子がたくさん通っていました。かたや、わが家は東京の郊外に住むサラリーマン家庭。上流社会に強い憧れを抱いていた母は、本当に恵まれた人々の存在を身近にして、私に難癖をつけるようになりました。
《同じクラスのあの子は、旧華族のおうちなんだってと話そうものなら、母はどこで見つけたのか「日本の旧華族一覧」のような本を引っ張り出してきて、すぐに調べ始めます。そして勝ち誇ったような顔で言うのです。「それは嘘よ、慶子。だって、この本に載っていないもの」そんな母の姿に強烈な嫌悪感を覚えました》(『解縛』より)
恐らく、自分との格差を素直に認めることができなかったのでしょう。現実を受け入れない母に対して、「どうして目の前の私の話を認めてくれないの?」と何度も何度も訴えました。
しかし、会話は平行線。日本語という同じ言語をしゃべっていて、長いこと同じ住環境で生活してきたのに、話がまったく通じませんでした。
それはなぜだろうかと考え、「人というのは、なるべく自分が見たいものを見て、自分が聞きたいものを聞く生き物だから」という結論に行き当たりました。
「こうであってほしい」という自分の理想のままに、時には目の前の事実を歪めて解釈することが往々にしてあるんですよね。
そして母にとって、娘はあくまで自分の分身であり、自分の作品。だから、娘を「他者」と捉えることは彼女にとって不可能でした。
母は私と口論になるたびに「わかるわ」と応じてくれましたが、生身の私を観察して「わかる」と言ってくれたわけではありません。母が目にしていたのは「母が見たい私」。相互理解が得られるはずもなかったのです。
※女性セブン2014年5月1日号