3月末、「袴田事件」で死刑が確定していた袴田巌元被告に対する再審が決定し、袴田氏は釈放された。袴田事件の他にもグリコ・森永事件(1984~1985年)、国松警察庁長官狙撃事件(1995年)など、未解決事件は多数存在するが、その陰には警察の重大な問題が潜んでいる。
「国松事件」では、長官狙撃を“自供”した現職巡査長の存在を公安警察が隠蔽したが、身内の疑惑を隠蔽しようとするのは公安警察だけではない。白バイ隊員に扮して日本信託銀行の現金輸送車を奪った東京・府中市の「3億円事件」は、1968年12月10日の事件発生以来、多くの小説やドラマの材料になった。
白バイのヘルメットを被った男の「モンタージュ写真」は事件の象徴として広く知られるが、実は、この写真は「モンタージュ(組立)」ではない。その事実を突き止めたジャーナリストの近藤昭二氏は言う。
「モンタージュというのは、沢山の写真の中から目撃者の証言に合わせて目や口のパーツを切り抜き、それらを組み立てて一枚の写真を作ることを言います。しかし、かの有名な『モンタージュ写真』はすでに亡くなっていたSという男の写真を、ほとんどそのまま流用したものでした」
その理由は、有力な容疑者として浮上した当時19歳の青年Aの「属性」にあるという。
「驚くべきことに、青年Aは、現職の交通機動隊中隊長の息子だった。しかも事件の5日後に自殺してしまったのです。そのため刑事警察は少年Aによく似たSという無関係な人間の写真を少しだけ加工し、モンタージュ写真として公表しました。
もちろん、この事実は幹部クラスしか知りませんでした。現場で聞き込みをする刑事たちは本物のモンタージュ写真だと思って捜査していたのですから、この隠蔽工作で捜査が大きくねじ曲げられてしまったことは間違いない」
さらに警察の失態は続いた。3億円事件では、現金輸送車を奪う際に乗り捨てた偽の白バイや、輸送車から現金を移し替えた逃走用の車両など、153点もの遺留品が発見されたが、それが逆に足かせになった。
「遺留品が多かったので、必然的に多くの捜査員が投じられました。そうなると、今度は『あっため報告』が頻発するのです。自分の掴んだ情報を捜査会議の場で出さない。他の捜査員に手柄を取られるのが嫌で、幹部にだけこっそり報告して点数を稼ごうとする。これでは捜査会議の意味がない」(近藤氏)
※SAPIO2014年5月号