寝たきり状態の高齢者を元気にさせる方法がある。それが口の中の衛生状態や機能を改善する口腔ケアだ。
高知県で長年高齢者の歯科治療に取り組んできた塩田勉・塩田歯科院長は、病床で生きる意欲を失った患者が、口腔ケアと噛める義歯で、劇的に甦る例を数多く経験している。塩田院長が忘れられないのは1970代後半の男性を歯科衛生士と共に訪問診療した時のことだ。
男性は脳梗塞のために半身麻痺になり、外出することもなく薄暗い部屋の布団に座ったまま一日中過ごしていた。顔はげっそりと痩せ、無表情で目もうつろだった。塩田院長が話しかけてもほとんど反応がない。
ところが、ベテラン歯科衛生士が話しかけながら口腔ケアを行なうと、それだけで目に力が甦ったという。その後、義歯を入れ、口腔ケアを行なうたびに表情は生き生きし、笑顔が出るようになった。
やがて、自分の意思でデイサービスに通い始めたという。
「私が家に立ち寄ると笑顔で迎えてくれて、帰るときには笑顔で手を振って見送ってくれました。食事を口から摂取することで、元気な頃の自分を取り戻したのです。食べることが、人間性を回復する大きな力になることを確信しました」(塩田院長)
脳梗塞で寝たきりだった70代女性は、ミキサーでドロドロにした食事を夫の介助で食べるのが精いっぱいだった。彼女は死人のようにやつれた顔をしていた。しかし、口腔ケアを始めて義歯を装着し、普通の食事が食べられるようになると、笑顔が出始め、顔もふっくらして生気が甦ったという。
86歳のパーキンソン病の女性のケースはさらに驚異的だ。彼女は要介護5で寝返りも打てず、摂食障害のため鼻からチューブで栄養補給をしていた。
塩田院長は口腔ケアから開始した。歯科衛生士が濡らした歯ブラシをゆっくりと口内に入れ、歯ぐきだけでなく頬や舌などもやさしく刺激していった。その刺激で女性の目が輝き出した。
週1回の専門的な口腔ケアをし、日常的な口腔ケアを担当看護師に指導して、鼻のチューブを外してもらった。並行して噛める義歯を入れると、4か月後にはベッド上で体を起こし、寿司を食べられるまで回復した。
「歯科衛生士に寄せる患者さんの信頼感も大きく影響しています。歯科衛生士の専門的な口腔ケアを行なっただけで、寝たきりで無表情だった患者さんに笑顔が戻り、会話をするようになった例はたくさんあります。口腔内の刺激が脳を覚醒させたのです」(塩田院長)
※週刊ポスト2014年4月25日号