4月5日、兵庫県宝塚市にある宝塚大劇場で行われた宝塚歌劇団の「100周年記念式典」には、レジェンドOG約1500人をはじめ、関係者、音楽学校本科生ら総勢2000人が集まった。だが、そこに天海祐希(46才)の姿はなかった。
彼女は現在、主演舞台『蒼の乱』の東京公演真っ最中だ。昨年、心筋梗塞で舞台『おのれナポレオン』を途中降板した天海にとって、約1年ぶりの復帰公演。それゆえ思い入れも普段以上に強かったと言えるかもしれないが、ある宝塚関係者はこう首を傾げる。
「100周年に式典をやることは、OGなら何年も前からわかっていることですし、1年以上も前からスケジュールをあけるようお願いされていたはず。出席できないなんてことはありえないはずなんですが…」
また、ファンの間でも疑問の声は続々と上がっていた。
「天海さんといえば、宝塚時代も、女優転身後も、いちばん人気があったといってもおかしくないほどの人。それなのに、彼女は式典どころか、関連するイベントにも出席していないんです」(50代主婦)
高校2年修了後の、1985年に宝塚音楽学校に首席で入学、1987年に天海は宝塚歌劇団に入団した。最低でも10年はかかるといわれる男役トップスターの座にわずか6年半で到達する。
厳しい競争社会の宝塚にあって異例の昇格。時には、休みひとつないスケジュールに、「休ませてくれないんです。だから、みんなだんだんやせていくんです」と声を上げたこともあった。
「昔からのファンや宝塚関係者の中には、“生意気”“態度が大きい”と言う人もいましたが、彼女は何も言えない後輩のために意味のないしきたりや、理不尽なマネジメントに苦言を呈していただけなんです。みんなそのことを知ってるから、後輩はもちろん先輩たちにも彼女は慕われているんです」(芸能関係者)
トップスターとして、宝塚を変えようとしてきた天海だったが、1995年に退団。当時28才、男役トップになってわずか2年のことだった。彼女はテレビや映画という映像の世界を志していたのだ。しかし、ヒット作に恵まれず、その不調ぶりがメディアに取り上げられることも少なくなかった。
「宝塚の演技と映画やドラマの演技は全くの別物。天海さんも頭ではそれがわかっていたんですが、なかなか変えることができなかったんです」(テレビ局関係者)
しかし天海はあきらめなかった。「元宝塚」と呼ばれるのを嫌い、舞台出演を極力控えた。その覚悟が2004年にドラマ『離婚弁護士』(フジテレビ系)の大ヒットを生んだ。そして、『女王の教室』(2005年、日テレ系)、『演歌の女王』(2007年、日テレ系)と話題作に主演し視聴率女王となった。
だが、彼女は女優として大成した今も宝塚のイベントに出席せず、“脱宝塚”を貫いている。
「彼女は決して宝塚を嫌いになったわけではありません。その証拠に、昨年行われた音楽学校の100周年記念のイベントは“母校だから”と出席していました。ただ、歌劇団に関しては“もう過去のことだから”と欠席を決めたんです。自分が“元宝塚”の称号を捨てて女優としてしっかりと演技をしていくことのほうが、自分の後を追う歌劇団の後輩たちのためになると思っているんですよ」(天海の知人)
※女性セブン2014年5月8・15日号