定められた数値よりも高い反発係数の球、いわゆる「飛ぶボール」を公式戦で使用していたと日本野球機構(NPB)が発表して以来、球界が騒がしい。だが、フォークの神様と呼ばれた杉下茂氏は「投手が低めに集めて投げればいい」、400勝投手の金田正一氏は「“弘法筆を選ばす”じゃ」と騒ぐ方が大人げないと切り捨てている。そして、野球評論家の江本孟紀氏も、先輩投手たちの意見に賛同する。そして批判の矛先を首脳陣へ向けた。
「結局ね、優秀なピッチャーを育てられなかった首脳陣が、ここぞとばかりに“飛ぶボール”問題を焚き付けているようにも見えるんですよ。要するに、ヘボなピッチャーしか作れない連中の責任逃れにすぎない。
星野仙一監督が“作戦を変えなくてはいけなくなる”なんていってましたけど、そんなの必要ないですよ。飛距離の差は、芯に当たって初めて数メートル程度出てくるんですから、言い訳にしかならない。昨年も一昨年も、OBが集まると昔の“今よりもっと飛ぶボール”の話になりましたが、その頃は、飛ぶボールだからズルい、なんて文句をいうようなピッチャーはいませんでしたからね」
球界がミズノの1社独占体制の下、ボールを統一したのは2011年のこと。その前は、球界全体で複数社のボールが使用されていた。350勝投手の米田哲也氏が振り返る。
「メーカーが違うので、ボールの縫い目の山が高いもの、低いものがあった。手の小さいボクは苦労しました。小さい手だと、縫い山の高いボールは投げやすいんだけど、低いボールでは変化球が投げづらくて困る。関東では山の低いボールが使われていることが多くて、遠征の時は不利でしたね。それでも皆、自分なりに工夫をし、200勝を目指して投げたものです」
与えられた環境を言い訳にして、逃げてはいけない──そう語る米田氏だったが、一方で「選手ばかりに責任があるわけではない」とする。今回の問題に関して、NPBにもこう注文をつけた。
「ボールを統一してしまったということは、供給側がそれだけ大きな責任を負うことになったということを、もう少し理解してもらいたい。この問題は、単に今の選手の成績を左右するだけに留まらない。
今年、プロ野球は80年を迎えました。これまで先輩たちが苦労して作ってきた、輝かしい記録の元にプロ野球は成り立っていますが、NPBはその記録を簡単に塗り替えられる力を、統一球によって握ったわけですからね」
※週刊ポスト2014年5月2日号