「吟じますっ」と伝統芸能である詩吟のリズムにのせて下ネタを絡ませた芸『エロ詩吟』でブレークしたお笑いコンビ天津の木村卓寛(37才)。2008~2009年にかけては、ネタ番組などにひっぱりだこだった。しかしその後、仕事は激減し、一時アルバイトをしていたという。新シリーズ「転機」第2回となる今回は、ブレークからその後の生活にまでに訪れた転機について本人に聞いた。
――エロ詩吟でブレークしたころ、生活はどう変わりました?
木村:むちゃくちゃ忙しくなりましたね。1日に東京と大阪2往復することもありましたしし、2009年には最高月収390万円ということもありました。テレビにもたくさん出させてもらいましたし、ユーミンさん(松任谷由実)の番組に出たことをきっかけに、一緒に食事をしたこともありましたね。
――ネタが生まれたきっかけは何だったんですか?
木村:麒麟のふたりから「お前は何も特徴がないから、なんかやらんとあかん。得意なことはないんか」と言われて、とっさに思い出したのが詩吟。実家が詩吟教室をやっていたのもあって、なじみがあったんです。ほかに得意なことはないか、と聞かれて思いついたのがエロでした。当時、芸人の結婚式の二次会でネタをやるとブレークするっていうのがあって、誰か結婚したらネタをやりたいと思っていたんですが、唯一その年に結婚したのがぼく自身やった。
それで自分の結婚式の二次会でエロ詩吟やったらウケて。そこからブラックマヨネーズさんのラジオ番組とかに出させてもらって、エロ詩吟ネタをどんどん出すようになったら、評判になって。『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系)にも出してもらえるようになったんです。
――その後はテレビで見る機会が減りましたよね。
木村:2010年ごろから仕事は減りましたね。収入も減ったんで、それまで住んでいたところよりも安いマンションに引っ越して、スカパー!も解約して、スマホの無駄なアプリを解約したりと節約に励んでいました。子供が生まれたのに、休みが続いて家にばっかりいたら家族に申し訳ないやろ、と思ってバイトもしたんですよ。テレアポの。
パートのおばちゃんたちとすごいなじんで、ワイワイしてましたね。おばちゃんから「クリちゃん」ってあだ名をつけられて。天津甘栗からクリちゃんって単純な理由ですけど。2~3か月バイト続けたんですが、ある時、バイトの中でリーダー的な役職につかないか、と言われるようになって。まさかのバイトで昇格? それはないわ、と思ってやめました。
――相方の向清太朗さんとの仲はどうだったんですか?
木村:ぼくが売れていたころはめちゃくちゃ仲悪かったですね。でもぼくが落ち目になってからは劇的に仲直りしました。今は、ふたりで漫才を中心にやっています。
――ドラマ『半沢直樹』(TBS系)がヒットしたときは近藤役の滝藤賢一さんのモノマネで吟じていましたよね。
木村:あれはおいしかったですね。嫁からも似ているといわれていたので、これは、しがみつこうと思いました。しっかりしたロープが下りてきた感じでしたね。
――漫才とピン芸はこれからもやる予定ですか?
木村:なんにでもすがらんとあかんと思います。テレビに出てないと芸人って一気に知名度が低くなるんです。前は街を歩いていると“あ、吟じますの人や”と言われていたんが、今は“あ、念じますの人や”ですからね(笑い)。「“念じる”って魔法使った記憶ないんですけど」って内心つっこんだこともありましたし。
ライブとかやっていても、テレビ出てないと一発屋の扱いなんやなあと痛感していましたね。でも、今は一発屋ということを生かしてムーディ勝山やジョイマンらとグループを作ってライブしています。最初のころは、自分は一発屋ちゃうと否定していましたが、認めたら楽になりました。一発屋がらみの仕事も増えましたし。
――エロ詩吟は続けていくんですよね。
木村:はい。以前は苦情を受けていた詩吟業界ともコラボできるようにまでなりましたから。協会の関係者のかたが「いっしょに詩吟を広めていきましょう」と声をかけて下さって、一緒に詩吟を教えたり、高齢のかたの前でライブをやったりもしてます。「なるべくエロくないもの」と言われてやるんですが「まだやらしい」と言われたりもしますけどね。
【木村卓寛(きむらたくひろ)】1976年 5月 22日兵庫県出身。1999年お笑いコンビ天津を結成。2008年に『エロ詩吟』ネタで人気を博し、『爆笑!レッドカーペット』(フジテレビ系)などに出演。現在はコンビ、ピン活動のほか、一発屋オールスターズのメンバーとしてライブにも出演。