【書評】『ぼくの守る星』神田茜/集英社/1200 円+税
【評者】川本三郎
「ディスレクシア」(読み書き困難)という障害があることを知った。文字がすぐに理解出来ない。「赤いボウシ」が「赤」の「イボウシ」に読めてしまう。「前日」が「前田」に、「ウコン」は「ウンコ」に。
そのために友達との会話がうまくゆかない。おかしなことをいっては人を笑わせる面白いやつと誤解されたりもする。
講談師でもある神田茜の『ぼくの守る星』はこの「ディスレクシア」という障害を持った中学生の男の子を主人公にした連作短編集。
男の子を中心に、章ごとに、その同級生、母親、父親、同級生の女の子、と語り手が変わってゆく。近年よく見られるチェーンストーリーの形をとっている。女性の作家が、男の子、女の子、母親、父親とみごとに語り手を使い分けている。
山上という同じクラスの男の子が愉快。将来、お笑い芸人になるのが夢。「ぼく」がいつもトンチンカンなことを言うのをギャグだと思いこんで、一緒に漫才をしようと誘う。
明るく、気のいい男の子なのだが、この山上にも心の屈託がある。悩みがある。父親が葬儀社に勤めていること。それが負い目になっている。
「ぼく」が気になっている中島という女の子は、教室でほとんど誰とも話さない。いじめに遭っているわけではないが、いつも一人でいる。休み時間、やはり一人でいることの多い「ぼく」は彼女のことが気になって仕方がない(まだそれが「恋」だとは知らない)。
この中島が語り手になった章では、彼女の両親は別居していること、彼女は母親とアパートの小さな部屋で暮していること、母親は精神状態がよくないことなどが明かされる。 ごく普通に見える子供たちのひとりひとりが、それぞれ、悲しみや悩みを抱えている。ただ、彼らはそれを大仰に語ったり、嘆いたりしない。なんとか自分で解決しようとしている。その意味で彼らは実は強い子供たちでもある。
子供にとらわれすぎている親たちよりもむしろしっかりしている。落着いた、端正な文章が、子供の心の強さを浮き上がらせる。
子供は、自分より友達のことを大事に思うようになった時、大人になる。成長する。「ぼく」が、いつも気にかけている女の子、中島を守ってゆこうと決意して抱き締めるところでは、障害のある子供が誰よりも優しく強くなっている。
※SAPIO2014年5月号