4月26日、文化庁は「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界文化遺産登録を、国連教育科学文化機関・ユネスコの諮問機関・イコモスが勧告したと発表した。6月に中東のカタールで開かれる世界遺産委員会で正式決定する見通し。決まれば国内14件目の世界文化遺産となる。今回の世界文化遺産への登録見通しという朗報を誰よりも喜んでいらっしゃるのが美智子さまだという。
その美智子さまは、4月30日、皇居・紅葉山(もみじやま)御養蚕所で「御養蚕始の儀」を行われ、今シーズンの皇室の養蚕作業を本格的に始められた。5月1日には、美智子さまは家蚕(かさん)が繭づくりをするための器具「蔟(まぶし)」をわらで編む作業に取り組まれた。
「美智子さまは一緒に作業した担当者に富岡製糸場の歴史や社会的な役割について質問されたりして、今一度、日本の製糸業、養蚕業について勉強されていたそうです。それだけ今回の世界文化遺産登録の知らせを嬉しくお感じになったのでしょう」(宮内庁関係者)
皇室の養蚕は、明治天皇の皇后・昭憲皇太后が始めたものだ。当時は国策として絹や生糸の輸出に力が注がれており、皇室も養蚕を奨励したのだった。以来、養蚕は大正天皇の皇后・貞明皇后、香淳皇后と歴代の皇后に受け継がれ、1990年からは美智子さまが蚕を育てられている。
美智子さまが飼育される蚕のなかには、純国産の蚕「小石丸」がある。この蚕は生産性が低く、一般ではつくられなくなっていた。
「美智子さまが養蚕を始められた当時、皇室でも小石丸の生産中止が検討されました。しかし、美智子さまは日本の蚕が姿を消すことを惜しまれ、“もうしばらく育てたい”と願われました」(前出・宮内庁関係者)
この小石丸は、後に奈良の正倉院宝物の古代絹織物を復元する事業にも使われた。美智子さまのご英断がなければ、この復元は実現しなかったともいわれている。またほかにも、外国の要人へ贈る織物などに使われるという。
今年2~4月、フランス・パリで宮内庁と文化庁が主催する美智子さまの養蚕を紹介した『蚕─皇室のご養蚕と古代裂、日仏絹の交流』展が開催された。美智子さまが作業される様子を写真や映像で紹介したり、悠仁さまが宮中祭祀で着用された白絹の産着など、50点以上が展示された。
「このような展覧会が海外で開かれるのは初めてでした。この展覧会開催期間中は、偶然にも、今回、世界文化遺産登録を勧告したイコモスが登録への事前審査を行っていた時期と重なりました。
審査は学術的に行われるため、勧告に大きな影響があったかどうかはわかりませんが、少なからず関係者へのPRになったことは間違いありません。美智子さまは富岡製糸場の世界文化遺産登録への後押しになればと願われたのかもしれませんね」(前出・宮内庁関係者)
※女性セブン2014年5月22日号