韓国「セウォル号」の事故は海難史上に残る惨事となった。犠牲者が300人規模というだけでなく、その多くが未来ある若者だったことに世界はショックを受けた。
船長以下、船員のモラルと技術の欠如、船舶会社の改造や整備に呈された疑惑、救助に際して関係部門が縦割りの弊害や責任転嫁を見せたこと──いずれも海運大国、造船大国として恥ずべき汚点と言わざるを得ない。この国がまだ経済発展に見合う社会制度や国民意識を醸成できていないことが垣間見える醜態だが、それはどの国も通る道であり、これから発展する途上国ならば他山の石にすべき教訓を含んでいる。
日本も「韓国はその程度」と突き放して論じるべきではない。1954年に1155人の死者を出した青函連絡船「洞爺丸」の沈没を引き合いに出せば、「そんな古い話と同列には語れない」と反発もあるだろう。その悲劇をきっかけに日本では船舶の安全に関する法整備が進み、安全性は飛躍的に高まったが、失敗から学ぶことによって今日が作られたことは紛れもない事実だ。
しかも、そうした苦い歴史がありながら、最近でも2005年のJR福知山線脱線や2011年の東日本大震災による東京電力福島第一原発の爆発など、油断や警告無視、組織による管理不行き届きといったヒューマンエラーによる重大事故は起き続けている。
韓国政府が日本の救助申し出を断わったことも批判されているが、同じような失敗は大震災で日本もやった(アメリカの原発事故収束への協力提案を拒否したり、台湾の救援隊を足止めしたりした)。これらは政治家と官僚のメンツ優先や打算によって起きた失敗だ。
※SAPIO2014年6月号