政府は、激減する労働力の穴埋め策として、移民の大量受け入れについて検討に入った。内閣府は毎年20万人の移民を受け入れることで、人口減を避けられるとの試算を発表している。政府・自民党は日本が今後、人口減少社会になり、国力を維持できなくなるからだと説明しているが、それは方便だ。
実際には、東北復興や景気対策の公共事業、さらに東京五輪特需も重なって建設業界で人手が不足し、業界団体から政府・自民党に「外国人労働者を入れてほしい」というロビー活動があったからだ。
一方で、政府・自民党が方便に使った人口減少と国力衰退という未来予測は紛れもない事実である。これまで何もしてこなかったことのほうがおかしい。
外国人の流入に批判的な一部の保守派らは降ってわいた移民論に激しく反発し、「外国人に国を占領されるより、日本人の出生率を高めればいいじゃないか」と言い始めた。出生率の回復は間違いなく必要だが、それは20年以上も前から指摘されていながら、出産や子育てを支える仕組みが作られてこなかった。
子ども手当や高校無償化など、かろうじて民主党政権の時代にそれまでと異なる政策が出てきたが、それをバラ撒きと批判して潰したのは現在騒いでいる保守派たちである。今からでも出産・子育て支援はやるべきだが、それには年寄り偏重の福祉政策を転換する(つまり自民党の支持母体である高齢者層の既得権を奪う)覚悟が必要であり、しかも効果が現われる(その結果生まれた日本人が労働力年齢に達する)のは早くて20年後である。本当にそれが出来る保証もない。
移民が多くの問題を招くことは間違いない。しかし、他の先進国で移民を拒否して繁栄を維持できた例はない。アメリカの好調な経済と国力増進を支えているのが大量の移民であることは誰も否定できない。いくら軋轢があっても、移民をやめるという先進国が1つも出てこないのは、メリットとデメリットを比べれば圧倒的にメリットが大きいからだ。
不純な動機で移民を受け入れようとする今の流れは非常に危険だ。しかし将来の国の形として、移民なしの未来図はまずあり得ないだろう。誤った移民論が出てきた今こそ、その功罪を冷静に分析、検証し、本当にあるべき移民国家ニッポンの姿を考えるべきだ。
※SAPIO2014年6月号