世界選手権銀メダル、ソチ五輪5位。フィギュアスケート界をけん引する町田樹選手の魅力は、芸術的な演技はもちろん、その“言葉”にもある。「ソチは未知なるフロンティア。恐怖心があるが、やるしかない」「逆バレンタインを届けたい」「ビッグバンですよ。僕の“火の鳥”は宇宙まで飛ぶ」「僕にとって現状維持は退化」「目指しているのは、純粋芸術としてのフィギュアスケート」――。
“氷上の哲学者”とも呼ばれる町田選手の言葉には個性と本質が同居しており、フィギュアスケートをよく知らない人の心にも刺さる。そうした言葉の源泉にあるものとは何か。「競技も人生も、本にインスパイアされてきた」と語る町田選手に、本と、フィギュアと、町田樹の深い関係を聞いた。(前編:競技編/2回に分けてお届けします)
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■「ティムシェル」との化学反応
「ティムシェル」という言葉を、ソチ五輪の前、どれだけの人が知っていただろうか。昨シーズン、町田選手が「ショートプログラム『エデンの東』のテーマはティムシェル」と語ったことで一躍広がった言葉だ。スタインベック著、ジェームス・ディーン主演で映画化された名著『エデンの東』に出てくる「ティムシェル」との出会いが、町田選手をソチへと導いた。
「人類にとって可能性に満ちた言葉だと思います。本にも書かれている通り、時代も、人種も、宗教も超える言葉です。だから、オリンピックという至高の舞台で演じるにふさわしいテーマだと思いました。これからも僕が人生を歩んでいく上で、大きな心の支えになってくれるでしょう」(町田選手、以下「」内同)
ティムシェルとは、『エデンの東』で「汝(なんじ)、治むることを能(あた)う」と訳されている。その解釈を巡って登場人物たちが議論を繰り広げる場面は、同書の山場の一つだ。ラストシーンで、死にゆく父が息子に残す言葉でもある。町田選手はこの言葉に独自の解釈を施している。
「ソチ五輪の2年ほど前に、偶然『エデンの東』を読んだんです。当時僕は、“第6の男”と呼ばれていて、世間のみなさまも、フィギュア関係者も、僕がオリンピックに行くとは想像していなかったと思います。僕自身さえ、当然憧れの舞台ではあるけれど、半信半疑だった。
そんな時にティムシェルという言葉に出会って化学反応が起きました。ティムシェルという言葉には、可能性を委ねられているようなところがある。『君次第だ』と言われている気がしたんです。自分の努力次第で光をつかめる、とこの本から学んで、奮起しました」
そこからソチへ向けての快進撃が始まる。“第6の男”が叩きだす結果と、フィギュア選手には珍しいビッグマウスや個性的なキャラクターに、世間の注目が集まり始めた。だが素顔はちょっと違うようで……。
「人間はなかなか変われません。決意しても、翌日には萎えていることは僕もよくあります。でも、ソチに行くためにはそれではダメだと、昨年は目標を書いた紙を玄関に貼って毎日自分に言い聞かせていましたし、ビッグマウスをあえて使って、やらざるを得ない状況に自分を追い込んだ。フィギュアは心理戦の側面もあるので、ライバル選手たちへのけん制という意味合いも少しはありましたね。
『絶対勝ちます』とか『負ける気がしない』とかメディアに発言した後に、言っちゃたよ、と落ち込むことも多々あったのですが、やるべきことは変わらない。やるしかない。僕はもともと不言実行型なのですが、昨年は逃げ場をなくすために、戦略的に有言実行にしました。こうありたいという理想の人間像を演じていた感覚です。仮面をかぶっている自覚はあったのですが、演じているうちに、だんだん自然になっていった気もします。とはいえ、また不言実行に戻りたいですが(笑)」
■なぜ『白夜行』が好きなのか
もう一つ、本からインスパイアされてできた町田選手のプログラムに『白夜行』がある。直木賞作家・東野圭吾氏による傑作ミステリーをもとにした作品だ。東野圭吾氏の作品はほとんど読んでいるという町田選手、中でも『白夜行』は特別な存在だという。
「主人公・桐原亮司への思い入れが強いんです。彼のやっていることは邪悪なんだけど、それをやるモチベーションは純粋なんですね。そこに大きな葛藤がある。生きていると多かれ少なかれ、どんな人も葛藤を抱えていると思います。綺麗ごとだけでは生きていけない。
僕自身も、いつまでスケートを続けるのか、その後のキャリアはどうするのかと、常に葛藤に晒されている。その中でどう前に進むかを考えているから、こうした物語に惹かれるのかもしれません。このプログラムは、初めて僕自身が振付をしました。“邪悪なれど、純粋無垢な自己犠牲”をテーマに、僕の思う桐原亮司を氷の上で体現しました」
葛藤の物語は、心を失った人間の悲劇の物語でもある。『エデンの東』も悲劇の末に、一条の光をつかむ物語だ。町田選手が悲劇に引き付けられるのはなぜか。
「僕の人生や僕自身が悲劇的だなんていうつもりは全くないのですが、悲劇を演じるのが合っていると自己分析しています。太宰治の『人間失格』に、主人公が悪友・堀木と、いろんな言葉を『喜劇名詞』と『悲劇名詞』に分けて遊ぶ場面がありますね。たとえば汽船と汽車は『悲劇名詞』で、市電とバスは『喜劇名詞』。タバコは『悲劇名詞』とか。
それでいうと『町田樹』は『悲劇名詞』なのかなって考えたりもします。それから、喜劇よりも悲劇のほうが、良くも悪くも人間の心に長く爪痕を残すんじゃないかなとも思ってますね」