【書評】『小林秀雄 学生との対話』/国民文化研究会・新潮社編/新潮社/1300円+税
【評者】平山周吉(雑文家)
横町のご隠居と生真面目な学生たちが真剣勝負で対話している。時々、その場に爆笑の渦がおきる。受けて立つご隠居の緩急自在の話しぶりが学生たちの緊張をときほぐしたのだ。「僕は教育者じゃないから」と、隠居を自認しているのは、批評の神様・小林秀雄である。本書は、老年期にさしかかった批評家が、戦後日本の現状に危機を感じ、若い人に積極的に語りかけ、なにものかを伝えようとした「白熱教室」ドキュメントである。
この時期、小林はベルグソンと本居宣長という二人の天才のことを考え詰めて、書きあぐねて、頭がはち切れんばかりになっていた。そうした話題が多いのは当然だ。しかし、そればかりではない。「今僕は暗中模索で」という蒼白い人生相談風悩みにもやさしく答える。「僕たちの天皇に対する接し方」といった難問にも必死で答える。著作からはうかがいにくい小林秀雄の「素」が現われる。
小林は原稿を削りに削る物書きだった。それは伝説にまでなっている。編集者が原稿をもらいに行くたびに枚数が減ってしまっていた、と。本書は、いわばその削り込む前の小林の思考の軌跡が、ぶっきらぼうに胸襟を開いて明かされる。生前の小林なら、その職人気質ゆえに絶対に刊行を許さなかった「未完成品」であるが、かえってその敷居の低さが、読む者に安心感と親密さを与えてくれる。
対話の中では、ソクラテスと孔子について重ねて言及している。対話を重視した二人の哲人の方法を小林は学んで、真似て、実践している。「魂は移るんだよ」「教師は、自分の魂を受け取る人がきっといると信ずるんです」。その信の強さが学生たちを圧倒する。
小林秀雄は書く人であるが、また話す人でもあった。古今亭志ん生の「火焔太鼓」をレコードが擦り切れるほど聴き込んで、その語り口を学んでいたという(新潮社から出ているCDだと、たっぷりその口調と、噺のまくら部分が楽しめる)。講義と対話を終え、ほっとして壇上を去る小林の一言がいい。「じゃ、失敬」
※週刊ポスト2014年5月30日号