政府が年間20万人の外国人労働者の受け入れを検討し始めた。だが、労働力を補う移民受け入れより、「人口が減っても豊かに暮らせる社会を目指すべき」と森永卓郎氏は提言する。
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「ドイツがこんなに苦しんでいるのに、なぜ日本は同じ轍を踏もうとするのか」
経済企画庁総合計画局で労働政策に携わっていた1980年代半ば、ドイツの政策担当者に言われたその言葉を私は忘れることができない。
ドイツでは1960年代、高度成長期にトルコから大量の労働者を受け入れた。それにより不足した労働力を補うことはできたが、高度成長が終わると状況は一変し、彼らのための社会コストが増大した。
短期的には人手不足解消や人件費の削減により外国人労働者を雇い入れた企業はメリットを享受する。しかし、長期的には彼らのための住宅対策、失業対策、子弟の教育対策など莫大な社会コストが全国民に跳ね返ってくる。
低賃金の単純労働者であれば納税額は小さく、財政にはマイナスだ。医療や年金などの社会保障も同様。外国人労働者受け入れは、その瞬間は気持ち良いが後で体全体がボロボロになる麻薬のようなもの。日本の国益にならない。
たとえ日本の人口が減少しても、私はそれほど悲観していない。昭和初期の人口は現在の約半分。山がちで平地の少ないこの国土に1億3000万人近くが暮らす現在は定員オーバーではないか。適正な人口密度になれば交通渋滞や満員電車、レジャー地の混雑はなくなるし、ゆとりある広さの家に住めるようになる。
今のうちに将来まで利用できるインフラさえ整えておけば、豊かに暮らせるはずだ(イタリアではローマ時代の道路が、ドイツでは大戦前のアウトバーンが現役だ)。
国立社会保障・人口問題研究所の推計では、出生率が2030年に2.07まで上昇した場合、1960年の人口は9894万人とされている。これから45年かけて総人口は現在の8割弱、高齢化率は約3割に達する。もっと高齢者が労働に参加するとしても、現在の経済規模を保つには1人当たりのGDPを今より2割増やさなければならない。
過去20年以上横ばいであることを考えると簡単ではないが、1980年代前半には5年間で2割アップさせた経験があるから、産業構造に大きな変革があれば不可能ではない。
※SAPIO2014年6月号