《皆様どうぞ楽しい服装でお越しくださいますよう。なお、帽子をかぶって頂ければ平田が喜ぶと思います》
3月19日に肺炎のため亡くなった帽子デザイナー・平田暁夫さん(享年89)を“笑顔で送る会”が、5月19日執り行われた。会の案内状には、そんな言葉が添えられていた。
祭壇には白い花々とともに、真っ白なハットが花に見立てられ飾られていた。大好きな帽子に囲まれ、笑顔を浮かべる平田さんの遺影を眺めながら、黒柳徹子(80才)や桂由美さん(82才)ら1000人を超える参列者が、平田さんとの最後の別れを惜しんだ。
その中に皇后・美智子さまのお姿もあった。美智子さまも案内状の通り、昨年、平田さんが作ったという黒いすみれがあしらわれた帽子をお召しになられていた。
「美智子さまが一般人の葬儀やお別れの会、送る会などに参列されるのは極めて異例なことです。それだけに、美智子さまの平田さんへの強い感謝の思いが伝わってきました」(宮内庁関係者)
1925年、長野県飯田市に生まれた平田さんは、わずか14才で東京・銀座の帽子店で修業を始める。30才で独立すると、37才のときには高級帽子作りの腕を、さらに磨くため、フランス・パリに渡った。
3年間の修業を終え、帰国した平田さんは、その翌年(1966年)、美智子さまの洋服のデザイナーを務めていた芦田淳氏(83才)の紹介で美智子さまと出会う。
「ファッション界の常識や流行に左右されることのない、日本の素材などを生かしたオリジナルなデザインでと、皇后さまのご意向は最初から一貫していました」
生前、平田さんは美智子さまからこんな要望を受けていたことを本誌に明かしていたが、美智子さまのデザインへのこだわりは細部にまで及んでいたという。
「仮縫いした帽子をかぶられながら、皇后さまが“こんなお花をつけたらどうかしら”などとご提案なさるんです。
あるときには“少し小さくしてみようかしら”とおっしゃるので、3mmほど小さくすると、“ごめんなさい。やっぱり元に戻してください”と。帽子というのは、顔と同時に最初に目につくものでしょう。ですから、皇后さまと一緒に試行錯誤をしながら理想の形を追求したんです」(生前の平田さん)
海外からの賓客と会われる機会も多い美智子さまにとって、公の場で身につけられる帽子はイメージ作りのうえでも重要な役割を果たした。
皇太子妃時代の若かりし美智子さまは、つばの広いブルトン帽や頭をターバンのように覆うボネと呼ばれる帽子を好んでお召しになったが、皇后となられたあとは、小さくて平らな形の帽子を愛用された。
「つばが大きいと、挨拶されるときに相手と距離を作ってしまう。頭をすっぽり覆ってしまうと、帽子を外されたあとに髪形を整える時間が必要になる。大きくては持ち運びにかさばってしょうがない。そういったことへの配慮から、今の形の帽子ができあがったんです」
生前、平田さんはこんなことを語っていたが、この言葉からは、美智子さまに尽くされるプロの職人としての思いが伝わってきた。一方の美智子さまも平田さんへの感謝の思いは尽きず、あるとき、「この帽子、平田さんとふたりで作ったのよ」という言葉をかけられたことがあった。思いがけない言葉に平田さんは涙を流したという。
※女性セブン2014年6月5日号