まずやったのが、「辞書を覚える」ことだった。『ロジェッツ・スィソーラス(Roget’s Thesaurus)』という類語辞典を買い、内容をまるまる書き取って暗記していった。これはどんな言葉を学ぶ時でも通用する上達の鉄則だが、類語を数多く覚えることで表現の幅が広がる。豊富な語彙はコミュニケーションを楽しむ上で必要不可欠なものだ。
2ページ分の辞書の記述を5回ノートに書き写したところで、そのページを破り捨てるというのが私のやり方だった。スィソーラスは1500円くらいだったので、非常にもったいなかった(当時、私がやっていたトラック運送の助手のアルバイトの月給が数千円だった)。だからこそ必死になって覚えた。
この学習スタイルのお陰でアメリカに留学した時、私の語彙力はネイティヴ・スピーカーの同級生を上回っていて、物怖じすることなく彼らと議論することができた。
先ほどペーパーテストの点数にこだわるべきではないと指摘したが、「会話が大事で、グラマー(文法)は重要ではない」といった主張にも私は同意しない。欧米ではその人物の喋る英語で教養レヴェルを判断する。正確なグラマーで話しているか、直接的過ぎる言い回しをしていないか、といったことは大切で、それに加えて同じ単語ばかり使っていないか(語彙は豊富か)という点もポイントになる。
面倒だと諦めるのは簡単だが、きちんとした英語を身につければ教養のある人物と知的な会話を楽しめる。それほど刺激的な目標は他にないだろう。これから英語の勉強を始める人にはぜひスィソーラスを読み込んでもらいたい。
映画館にも通った。まだ大らかな時代で観客の入れ替えなどはなく、毎週日曜日に朝から晩まで同じ映画を繰り返し観た。鉛筆の先に小さな電球をつけて、聞き取れたセリフを片っ端からノートに書いていき、会話を丸暗記した。そうすることで耳も鍛えられるし、会話の機微もわかってきた。
※SAPIO2014年6月号