5月18日、日本相撲協会の前理事長、放駒(はなれごま)親方(元大関・魁傑将晃)が虚血性心疾患のため急逝した(享年66)。度重なる苦難と辛抱強く戦い、その信念と潔癖さを貫いた人生だった。
2010年8月、角界に降って湧いた野球賭博問題で辞任した武蔵川理事長(元横綱・三重ノ海)の後を受け、第11代理事長に就任。
在任1年半は歴代最短だったが、その間に取り組んだ問題は、重いものばかりだった。八百長問題、公益法人認定に向けた組織改革……守旧派親方衆の猛反発を相手に格闘した心労は、はかりしれない。
特に八百長問題は、おそらくこれまで角界が直面した危機の中でも、最も重大なものであったに違いない。
「調査が難航する中、放駒理事長は強いリーダーシップを発揮し、2011年春場所の開催中止を決定しました。その際、理事長は事務方に協会が保有する現金と、換金可能な有価証券を調べさせ、どれだけの経済力があるかを調査。
1年間は本場所を中止しても協会の運営を続けられることを確認した上で、膿を出し切るまで、本場所、巡業も開催しないよう心を決めたと聞いています」(相撲担当記者)
4月には八百長に関与した25人の親方と力士を角界追放処分に処し、5月場所では異例の無料開催を断行した。
「協会外部から弁護士を中心とする調査委員会を立ち上げ、大量の解雇処分者を出す決定を下す際には、“アンタの下ではやっていけない”と、反発する親方衆からアンタ呼ばわりもされた。
それでも“俺がやらないといけない”と断固たる姿勢を貫き通した。角界が今日、何事もなかったかのように存続できているのは、ひとえに放駒理事長の尽力があったからに他なりません」(同前)
※週刊ポスト2014年6月6日号