【書評】柳美里著『JR上野駅公園口』
【評者】川本三郎
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上野公園は国立西洋美術館や東京文化会館など文化施設の多いところだが、他方でホームレスが多いことでも知られる。そのホームレスには東北出身者が多い。上野駅が東北本線や常磐線で東北と深くつながっている東北への玄関口だからだろう。
柳美里の新しい小説は、東北出身のホームレスを主人公にした力作。名前が付けられていない「自分」という男を通して日本の現代をとらえている。底辺から見た現代史。
「自分」は昭和八年(一九三三)に福島県の太平洋側、いわゆる浜通りの小さな村に生まれた。現在の東京電力の原発に近い。貧しい農家の長男。下に七人も弟や妹がいる。
終戦後、小学校を出るとすぐに働きに出た。地元にまともな仕事がないので出稼ぎを繰返してゆく。北海道に昆布とりに出かけたこともある。結婚して男の子と女の子、二人の子供が生まれるが、生活のために出稼ぎをやめることは出来ない。
昭和三十八年(一九六三)、三十歳の時に、はじめて東京に出てくる。オリンピックの競技施設の工事現場で働いた。
高度経済成長の時代、東北にも都市開発が及んでゆき公共事業が増えた。こんどは東北から東北へ出稼ぎに行く。
十二歳の時からずっと出稼ぎの人生である。「自分」は、それを恨むでも悲しむでもない。現実として受け入れる。実直な生活者である。
働きに働く。その間、長男を突然、失なう。レントゲン技師の免許を取り、これからという矢先だった。
六十歳の時、やっと出稼ぎをやめ故郷に帰る。妻と平穏に暮し始める。しかし、こんどは妻が突然、亡くなってしまう。かつて母親がいったように「おめえはつくづく運がねぇどなあ」。
二〇〇〇年、「自分」は決心して故郷を出る。東京に行き上野公園でホームレスになる。一種の世捨人である。このホームレスの暮しが具体的に描かれ、読みごたえがある。上野公園に皇族が訪れた時には、汚れ隠しのためにホームレスが一時的に「特別清掃」される様子など胸をつかれる。
この小説は不思議な構成をとっている。物語は時系列に沿っていない。男の過去と現在が混在する。しかも、男はどうやらすでに死んでいて浮遊する魂が「運がねぇ」生涯を辿っていることが分かってくる。男にはついに居場所がなかった。
男の魂は最後、二〇一一年の三月十一日、空から故郷が津波に襲われる惨状を見る。優しかった孫娘が津波にのみこまれてゆくところは粛然とする。
※SAPIO2014年6月号