メジャーデビュー以来、8勝1敗(6月4日現在。以下同)と好投を続ける田中将大は、今や押しも押されもせぬ、ニューヨーク・ヤンキースのエースに成長。ア・リーグ最多の5勝(1敗)を挙げた5月は、初の月間MVPを受賞した。
米スポーツ専門チャンネルESPNは、「リーグ月間MVPを勝ち取るには十分すぎる素晴らしいピッチング」と激賞。2012年8月から続いていた公式戦連勝記録は「34」で途切れたが、その後も安定した投球を見せる右腕を手放しで褒め称えた。マー君はオールスターの先発に加え、新人王どころかサイ・ヤング賞候補の声も聞こえてきている。
それに引き替え、かつての“ライバル”斎藤佑樹の姿はあまりにも対照的だ。
早大卒業後、ドラフト1位で日本ハムに入団。2年目の2012年には開幕投手を務め、プロ入り初完投勝利を収めたが、それ以降はパッとせず、二軍暮らしが続き、昨年11月には右肩関節唇損傷の故障が発覚。現在も二軍・鎌ケ谷球場でくすぶる日々を送っている。
「イースタンの試合で大量失点を食らって降板する際、スタンドからは“大谷を見習え!”という野次が飛びました。今では人気面でも、田中どころか後輩・大谷翔平にも先を行かれています」(スポーツジャーナリスト)
斎藤と田中。両者が世間に認知されるようになったのは、今を去ること8年前、2006年の夏の甲子園決勝だ。この時輝いていたのは、間違いなく斎藤だった。
斎藤は早稲田実業のエースとして、夏3連覇を目指す駒大苫小牧のエース・田中と投げ合った。3時間37分の激闘の末、延長15回でも決着がつかず翌日再試合。志願して4連投となった斎藤は、3失点しながらも13奪三振で完投、最後の打者・田中を三振に打ち取り、早実を初の夏の全国制覇に導いた。
マウンド上でポケットから青いハンカチを取り出し、額を拭う仕草で女性ファンを熱狂させた斎藤についた異名は「ハンカチ王子」。斎藤を中心に回っていたのは、同期生である1988年生まれ世代が「ハンカチ世代」とまで呼ばれたことでも明らかだ。まさに“時代の寵児”であった。
しかし8年後の今、7年総額161億円(年俸23億円)という超大型契約でヤンキースのエースになった田中に対し、斎藤は一軍昇格を目指す年俸2800万円の“三流投手”に成り下がっている。年俸は田中が斎藤の82倍。単純計算では、田中は斎藤の年俸をたった5日間で稼ぎ出す計算になる。
「もはや斎藤が田中を上回っているのは、学歴くらいしかなくなった。かつての栄光はそこにはありません」(同前)
※週刊ポスト2014年6月20日号