5月初旬。橋本龍太郎内閣時代(1996~1998年)に官邸中枢にいた、政治家A氏の発言が永田町で波紋を広げている。以下は、懇意の記者を前にしたオフレコ談話の一コマだ。
「少なくとも俺が首相官邸にいたとき、国内にCIAのエージェントがいたんだけど、そういうルートを通じて、横田めぐみさんが北朝鮮国内のどこかの2階に住んでいるという情報があった。
その後、森(喜朗)総理が日本人妻(*注1)の一時帰国事業で、めぐみさんを偽名にして他の日本人妻と一緒に帰国させる話までやっていたが、それから計画は途絶えた」
A氏は確信めいた口調でこう強調する。
「少なくとも1997年には、めぐみさんは生きていたし、森総理の時にも生きていた」
めぐみさんは、「1994年4月に入院先で自殺した」。これが小泉純一郎元総理訪朝後の2004年に発表された北朝鮮の公式声明だ。それを覆す重大発言、さらに官邸内部の人物がそれを発したということも注目に値する。
めぐみさんの生存情報は、これまでも拉致問題が脚光を浴びるたびに飛び交ってきた。
1993年に脱北した元工作員は1997年、「横田めぐみさんを平壌で見た」と証言。2011年には、韓国に流出した北朝鮮の2005年時の住民データに、めぐみさんと思われる身元情報があった──とする報道が韓国でなされたこともある。
しかし、時の政権はこれらの生存情報に、一切見解を発表することもなかった。情報源が海外ゆえに、日本政府としての検証が進まなかった。さらに、めぐみさんの「消息」を軽々しく口にはできない状況があった。
めぐみさんの失踪に北朝鮮の関与が明らかになってからというもの、めぐみさんは非人道的な拉致被害を象徴する存在として世の中に受けとめられた。
1977年、新潟県新潟市。当時13歳の横田めぐみさんは下校途中に忽然と姿を消した。のちに北朝鮮工作員の関与が明らかとなり、奪還が期待された2002年小泉訪朝では、死亡情報がもたらされた。
2004年、北朝鮮は横田めぐみさんのものとされた遺骨を日本側に提出。しかし、日本政府の鑑定結果は「遺骨は別人」というものだった。娘の帰還を長年願い続けた横田滋(81)・早紀江(78)夫妻の心情を弄ぶかのような非道に国民感情は極限まで高まった。
今回、再び進展を見せる日朝外交だが、横田めぐみさん拉致の解明なくして、真の解決は望めない。まずは、北朝鮮と合意した「再調査」で、その端緒を得ることが日本政府に課せられた使命となるだろう。
【*注1】1950~1980年代に日本各地で実施された北朝鮮への帰還事業で在日朝鮮人の夫とともに海を渡った女性たち
※週刊ポスト2014年6月20日号