8年前、甲子園に現れた2人の新世代ヒーロー「斎藤佑樹」と「田中将大」。彼らの将来に、ファンは大きな期待を寄せたが、両者の境遇は残酷なまでに対照的なものとなっている。斎藤の野球人生を狂わせたのは、早稲田大学時代だと指摘する声は多い。
まず誰もが指摘するのが、技術面。特に「フォームの改悪」だ。あるプロ野球OBはこう語る。
「高校時代は理想的なフォームで、これはとんでもない投手が出てきたぞと思って楽しみにしていたが、大学に進んでから、まるで別人のようになった。正直これでは厳しいというのが感想だった」
どう改悪されたのか。
「高校時代、斎藤は軸足を曲げて力をためる独特のフォームをしていた。軸になる右足を曲げることで、踏み出した左足にも余裕が生まれ、しっかり体重移動ができていた。それが大学に入ると、軸足がやや伸びてきて、踏み込む左ひざにも余裕がなく突っ張ったようになり、上半身だけで投げるようになった。これでは球に力が伝わらず、かつて投げられていたような、いい球が出ない」(前出のOB)
ただ、大学時代はそれでも勝てた。甲子園でのあの激闘を制した斎藤の能力は、並の大学生に太刀打ちできるレベルではなかった。
そうして斎藤は1年次からエースとして登板。甲子園のスターである斎藤には、六大学野球の“客寄せパンダ”的存在を求められた側面も否定できず、その結果、なまじ実績が残っていく。
「そのためフォーム矯正の必要性に迫られず、“お山の大将”になってしまったのではないか。それを指摘できる指導者が、早大にいなかったことも想像できる。上半身だけで投げる悪い癖は、同期の大石達也(西武)、福井優也(広島)にも共通しているからね」(前出のOB)
しかし、なんとか勝ちを重ねていたものの、年を追うごとに、内容は目に見えて悪化していった。
※週刊ポスト2014年6月20日号