現在、プロ野球で活躍する1988年生まれ世代は「ハンカチ世代」と呼ばれている。ハンカチと呼ばれるようになったのは、日本ハムの斎藤佑樹が早稲田実業のエースとして、夏3連覇を目指す駒大苫小牧のエース、田中将大と投げ合ったとき、マウンド上で青いハンカチで額を拭う仕草が人気を集めたことからだ。斎藤は早大卒業後、ドラフト1位で日本ハムに入団するも、現在は二軍暮らしが続いている。
一方の田中は高校卒業後、すぐにプロ入りを決断した。楽天に入団、野村克也監督や、佐藤義則コーチといった良き指導者に恵まれ、メキメキと力をつけていく。野球評論家の村田兆治氏はこう語る。
「当初は田中も、投げた後にひざが伸び、上体だけで投げる形でした。それがプロに入ったことでうまく修正された。現在では踏み出したときに、体が開かないよう平行にステップするので、真っ直ぐに踏み出すことができる。それによってウエートをひざで吸収し、うまく体重移動ができている。だから投げ切った時、体を沈み込ませるようにでき、ボールにパワーを伝えることができる。もともと腕も振れるので、コントロールもよくなるんですよ」
田中と斎藤のフォームの最大の違いは、下半身の使い方にあると村田氏はいう。
「踏み出したひざで体重を吸収できる田中と、できない斎藤。それで斎藤はコントロールばかり気にするので、小手先で投げるようになってしまいましたね」
田中がこうしたフォーム改造に取り組むきっかけになったのは、プロでいくつも壁にぶち当たったことも大きい。田中は1年目、11勝を挙げて松坂大輔以来8年ぶりの高卒ルーキー新人王となったものの、2年目は9勝止まり。プロでは通用しないと判断し、投球フォームの改造に取り組んだ。
さらにチーム内には、岩隈久志という絶対的なエースがいた。高校後のキャリアで、早大で1年時からエースとして登板し「お山の大将」となった斎藤とは大きな差ができるのも当然だ。
ただ、そもそも2人の間には能力面に差があり、田中が圧倒的に優れていたという指摘がある。『無敗の男―田中将大』(大和書房刊)の著者で、スポーツジャーナリストの古内義明氏はこう語る。
「田中には生来の器用さがありました。今や彼の最大の武器になっているスプリッターの誕生秘話からも、それは明らかです。
田中は高校入学時、ストレート、スライダー、カーブの3球種しかありませんでした。そこで1年生の秋に監督である香田誉士史さんが“田中、ボールを指で挟んでちょっと投げてみな”と提案した。実際やってみると、いきなり落ちたので、“おっ、それ使えるじゃん”という話になり、習得したのだそうです。田中には、手取り足取り教える必要はなかったと聞いています」
※週刊ポスト2014年6月20日号