先の五月場所では17年ぶりに満員御礼の日数が二けた(10日間)を記録するなど、人気が再燃しつつある大相撲。その火付け役の一人が、今や押しも押されぬ角界のニュースター・遠藤であることは間違いない。
しかし、今後の相撲界を担っていくべき人材は彼だけじゃない。現在、幕内には遠藤をはじめ、ラマダン力士・大砂嵐、松村邦洋の貴乃花親方物まねで槍玉に挙げられる貴ノ岩、遠藤と同様に苗字が四股名の高安など、数々の個性豊かな平成出身力士がいる。
なかでも、ひときわ目立つのが日本人とフィリピン人のハーフ力士・舛ノ山(ちなみに髙安も日比のハーフ力士)。
彼は一時期心臓病の疑いがあり、“20秒しか戦えない力士”などと取り上げられたこともあるので、名前を知っている人も多いのでは。しかし、舛ノ山に壮絶なバックグラウンドがあることを知っている人は少ない。
わんぱく相撲で名を馳せ、「将来はお相撲さんに」と夢見ていた舛ノ山少年。しかし、中学2年のときに、父親が事業に疲れ、突然蒸発。生活が苦しくなった一家は、母親の故郷であるフィリピンに夜逃げ同然で帰郷してしまう。
停電、不衛生、床下浸水あたり前。そんな過酷な状況下で、相撲の稽古などできるわけもなく、完全に将来を見失った舛ノ山。バロット(孵化直前のアヒルの卵)など現地料理に馴染めず、体重も10キロ以上激減。井戸汲みのバイトで家計を助けるという、まるでキン肉マン・マリポーサのような極貧時代を過ごすことに…。
母親に親孝行したい一心で、現地中学校卒業と同時に日本への帰国を決意するも、渡航費がない。そんなとき、渡航費だけでなく、母親の面倒も部屋で世話するとかって出てくれたのが、かつてわんぱく相撲時代に「大きくなったらうちの部屋に来いよ」と声をかけてくれた現在の千賀ノ浦親方。
ちなみに、舛ノ山には弟がいるのだが、彼は帰国せずフィリピンに残ることに。約2年後、帰国した弟は得意の手先の器用さを活かし、「兄貴の大銀杏は俺が結う」と千賀ノ浦部屋の床山になることを決意する…平成出身の若者なのにこんなにドラマティックな力士がまだいたのだ!(ちなみに、舛ノ山の好きなタイプは志田未来だとか)
二度の靱帯損傷など、度重なる怪我にも負けず、母親に楽をさせたい一心で入幕まで上り詰めた男の中の男・舛ノ山。5月場所は大きく負け越したが、その不屈の精神があれば、遠藤に負けない看板力士になってくれるはずだ。