先発転向以来、無傷の3連勝。“リリーフ失格”の烙印を押された横浜DeNAベイスターズの山口俊が、いまやDeNA先発陣の中で、もっとも安定感のある投手に変わった。スポーツライターはこう分析する。
「リリーフのときは、ピンチになると150キロのストレートやフォークを多投し、打者からすれば読みやすい投手だった。それが先発になってからは、カーブなど緩いボールを効果的に使い、投球に緩急が生まれた。もともとボールの力自体は一級品なので、これからも大崩れはしないのではないでしょうか」
抑え投手として通算111セーブを挙げている山口。昨年途中から不調で中継ぎに降格し、今季もセットアッパーとして期待されていたが、一時は防御率が10点を超える乱調を見せ、5月に登録抹消。ファームで走り込みを続け、先発に備えてきた。
「先発から抑えへの転向は珍しくありませんが、逆のパターンは少ない。しかも、シーズン途中の配置転換は異例。わずか1か月足らずで、先発の体に変えた山口は見事です。完投目前の9回1死で交代させられたソフトバンク戦(6月15日)の悔しそうな表情からしても、先発に向いている。今は、100球を超えると、みずから代えてくれと言う投手も珍しくないですからね」(同前)
過去100勝100セーブを記録した投手は、江夏豊(阪神など)、山本和行(阪神)、斉藤明夫(大洋)、郭源治(中日)、大野豊(広島)、佐々岡真司(広島)の6人。そのうち、先発として100勝以上挙げた投手は江夏と佐々岡だけだ。
「このなかで、抑えから先発に転向したのは大野だけ。山本や佐々岡は先発とリリーフを兼務した年もありましたからね。プロ野球界の歴史を振り返っても、8年もリリーフを務めた後、先発転向で何年も成功したのは、大野くらいのものでしょう。
中日、ロッテで抑えを務めた牛島和彦は、プロ10年目の1989年に先発に転向し、12勝を挙げました。しかし、シーズン途中に肩を故障し、翌年以降は思うように投げられず、1993年限りで引退しています。
西武黄金時代後期にリリーバーだった潮崎哲也は、東尾修監督時代の8年目に先発転向。12勝を挙げ、優勝に貢献しました。翌年も7勝とまずまずの成績を残した。しかし、以降は5勝、3勝と徐々に尻すぼみになり、中継ぎに戻っています。