高視聴率をキープしている『花子とアン』(NHK)。ドラマでは、L.M.モンゴメリの小説『赤毛のアン』の翻訳で知られる村岡花子さんが女学校で英語を学び、翻訳家になるまでの半生が描かれるが、その原案『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』(新潮文庫)を手がけたのが、花子さんの孫で作家の村岡恵理さん(46才)だ。花子さんの素顔について、恵理さんと、姉で翻訳家の美枝さん(54才)に聞いた。
友人のカナダ人宣教師から譲り受けた『赤毛のアン』の原書と同じく、花子の運命に大きな影響を与えたのが、印刷会社社長だった夫・村岡敬三との出会いだった。
1919(大正8)年4月、ふたりは花子が手掛けた作品の印刷を通じて出会う。当初、敬三には病気のため長く別居中の妻と子がいた。道ならぬ恋に悩みながらも、募る思いはそれを凌ぐものだった。出会いから結婚までの半年間で、ふたりは約70通のラブレターを交わす。
<必ず一緒になれるからと思つて、愛したのではありません。なれても成れないでも、凡事事情から離れて、愛して仕舞つたのですから、運命を□ふ事もございません>と花子が綴れば、〈黄昏のぼんやりしたよひやみの中に甲府の方を視ながら私のいちばんかわいい人に幸せあれかしと念じております〉と敬三が熱く返す。恋愛感情をあまり表に出すことのなかった大正の時代にあっては、なんとも激情に満ちた文が認められた。
※上記「□」は判別できなかった部分。
「その表現は本当にストレートなものでした。甲府の実家の期待を背負って上京し、気を張って生きてきた祖母は、ドラマで描かれている以上に孤独だったと思います。祖母にとって祖父は、心安らぐ“魂の住家”といえる存在だったのだと思います」(恵理さん)
半年後、敬三は籍を整理し、クリスチャンだったふたりは教会で挙式する。
「あの時代の男性は、愛すべき人間らしい対象として女性を見ない人だってたくさんいたことでしょう。その点、祖父はものすごく愛に応えてくれる人で、結婚してからもその愛は生涯変わらなかったそうです」(美枝さん)
「羨ましいですよね。祖母の場合は、無償の愛でした。愛されることや見返りを求めない能動的な愛です。文学にも恋愛にも、愛するものに関して祖母はとにかく純度の高い愛情をたっぷり注いでいます。その後、祖父の会社が潰れて家計を全て祖母が背負うことになっても、愛が不満に変わったりしない。愛情をエンジンに変えていける人は強いんだなということを心底実感しています」(恵理さん)
時代のうねりに巻き込まれ、いくつもの曲がり角を曲がらざるをえなかった人生にあって、信じる愛を全うした花子の生涯は多くの人の敬愛を集めている。
※女性セブン2014年7月3日号