【書評】『差別と教育と私』上原善広/文藝春秋/1620円
【評者】福田ますみ(フリーライター)
作家・中上健次は、被差別地区のことを「路地」と呼んだ。同じく被差別地区出身の著者は、自らの体験を軸に、ノンフィクションの世界で「路地」を描き続けている。
しかし、1973年生まれの著者にとって、その出自ゆえの差別や貧困はもはや昔語りである。ただし、その生活がしんどかったのは事実だ。卸の肉店を営んでいた父と、別の地区から嫁に来た母とは毎日壮絶なケンカを繰り広げ、父に腕を刺されて血だらけになった母を、著者が救急車に乗せたこともあった。
中学に上がる頃には立派なワルになっていた。ケンカに明け暮れ、シンナーを吸い、酒を飲んで二日酔いのまま登校した。しかしあることがきっかけで更生する。それは、解放教育のおかげだった。
解放教育とは、差別は同情融和されるものではなく、闘い解放されるべきものだとする理念を体現した教育法である。その一環が「部落民宣言」だ。これは、児童生徒が、自らの被差別の出自を級友たちの前で話すというもので、そうすることで社会に出ても堂々と自らの出自を表明し、誇りをもって生きてほしいという意味も含まれているという。
著者の場合は、解放教育を進める女性担任に促されて、自分が被差別地区の生まれであること、両親の仲が悪くて非常につらい思いをしたことをしゃべったが、内面に鬱積していたものを一気に吐き出したことで心が軽くなったためか、以後、非行行為はなくなったという。
だが、著者にとって有効だった解放教育には、大きな負の側面があるともいう。特にこの「部落民宣言」は、実際は強要されて行われることが多く、むしろトラウマになってしまったと話す経験者もいる。事実、著者の姉も、〈あんなんメッチャ可哀想やったわ。なんで自分の家庭の事情とか出身とか、わざわざみんなの前で話さなアカンねんな〉と反発していた。
解放教育においては、多くの混乱や対立、時には流血の大惨事が引き起こされた。著者は、こうした解放教育の持つダークサイドを跡付けつつ、自らの受けた教育への郷愁も隠さない。そして、良くも悪くも、解放のための闘いの季節が遠く過ぎ去ってしまったことを、ほろ苦く噛みしめている。
※女性セブン2014年7月3日号