【書評】『屋根屋』村田喜代子/講談社/1600円+税
【評者】川本三郎(評論家)
「奥さんは変わっとる」「奥さんは面白か人ですな」という言葉が出てくるが、村田喜代子の小説はいつも「変わっとる」。普通の日常の話のなかに突然、ヘンテコリンな話がまぎれこんでくる。見慣れた風景が見知らぬ異界とつながってしまう。
題名どおり屋根屋が主人公になる。屋根を修理する職人。これまで数多くの小説を読んできたが、屋根屋に出会うのははじめて。当然、屋根の話が語られる。まったく村田喜代子は「面白か人」だ。
「私」は北九州市に住む主婦。夫と高校一年生の息子と一戸建てで暮している。ある時、屋根が壊れ、雨もりするようになったので屋根屋を頼む。五十代の職人がやってくる。ゆうに百八十センチは超える。民話の世界から現われた大男のよう。
実直な職人で黙々と一人、仕事をする。昼には自分で作った簡素な弁当を食べる。
ラジオを聴きながら仕事をする職人が多いなか、この屋根屋はそうしない。「私」がそれを指摘すると屋根屋は、そういえば奥さんはテレビをつけませんねと言う。二人とも、「静かなのが好き」という点で似ていた。
「私」は屋根屋と、そして屋根に惹かれてゆく。屋根屋が職業柄、日本の古い寺の屋根や、フランスの教会の屋根に興味があると分かると、「私」はいつか屋根屋と一緒に旅に出たいと思う。
それが実現する。二人は仲良く日本の寺の屋根を見てまわる。さらにフランスに飛び、ノートルダム寺院やアミアン大聖堂などの屋根を見に行く。
といっても「退屈な主婦の不倫」などというよくある話ではない。「変わっとる」「面白か人」村田喜代子がそんなありふれた話を書く筈がない。
二人の屋根巡りは実は夢のなかのこと。それも「私」だけの夢ではない。「私」と屋根屋がそれぞれの家で眠りにつく。夢を見る。二人は夢のなかで同じ屋根に行く。いわば「夢のドッキング」。奇想天外。村田喜代子はそれを仰々しくではなく、日常茶飯事のようにさらりと書く。
西洋の屋根は天をめざす。日本の屋根は横に広がり、西方浄土をめざす。屋根論も語られる。普段、気にしなかった屋根が新鮮なものに思えてくる。「屋根は静かな場所なのだった」。
※SAPIO2014年7月号