1989年にVシネマが誕生してから今年で25年。Vシネマといえば、誰もが思い出すのが、この男の名前だろう。哀川翔が駆け抜けたのは、アウトローたちが画面の中で躍動していた最後の時代だった。無茶な撮影現場からしか、無茶な作品は生まれない──Vシネ全盛期の真実に、プロインタビュアー・吉田豪氏が、斬り込む。
──Vシネマの歴史がスタートしたときから哀川さんは一緒に歩んできたわけですよね。
哀川:すごかったよね、東映のVシネマのスタートのラインナップとか。みんなメジャーどころの人が並んで。俺はそのラインナップにとりあえず載ったんだよね。だから、おまえ何だみたいな目で見られたね、最初は。
──役者の実績で選ばれてないですからね。
哀川:そうそう。高橋伴明さん(※注)が主役を選ぶときに「今、六本木で一番元気なのはだれだ」って聞いて回って、「哀川翔だろう」っていう話になって(笑)。
【※注】映画監督。『TATTOO〈刺青〉あり』(1982年)でヨコハマ映画祭監督賞を受賞。1990年に東映Vシネマ『ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ~』を監督した際に、主演に哀川を抜擢した。
── 一番飲んでた頃ですもんね。
哀川:毎日飲んでたから(笑)。そしたら「高橋伴明さんが話があるらしい」って言われて。怖かったのよ、伴明さんって。サングラスをかけてて、俺らから見ると大人で、それが暴れるんだから、超怖かったよ。普通は暴れないでしょう?
──哀川さんも暴れてるイメージですよ!
哀川:いや、もう当時は暴れてなかった。
──六本木で暴れた噂は聞いてますけどね。
哀川:うそ? ほんと? そんなにないよ。
──光GENJIの諸星(和己)さんとかと一緒にいたとき暴走族に囲まれて、諸星さんに「おまえは有名人だから車の中にいろ」って言い残して立ち向かった話とか。哀川さんも有名人なんですけど(笑)。
哀川:いや、俺の場合はまだ大丈夫だったから(笑)。諸星が出てきたら騒ぎになっちゃうからね。そのときバイク50台ぐらいいたんだけど、「もう帰ったほうがいいよ、君たちは」って言ったら、ピシッとおさまったよ。