【書評】『ペスト&コレラ』P・ドゥヴィル著 辻由美訳/みすず書房/3400円+税
【評者】岩瀬達哉(ノンフィクション作家)
未踏の地を探求するという点で、科学者の評伝は、スリルあふれる冒険譚に似ている。 一八九四年に「ペスト菌を観察した最初の人物」となるイェルサンは、医学を志して故郷のスイスからドイツへ留学。けれども理論中心の講義が退屈で、臨床医学が全盛のフランスへと渡る。そこで狂犬病のワクチンを開発したばかりのパストゥールと出会い、この生涯の師のもと、前途有望な“細菌学者”となる。
当時のヨーロッパでは、領土の拡大のみならず、科学の進歩でも競り合っていて、とりわけ植民地での風土病克服が難題だった。結核菌を発見したドイツ人、コッホのような名声も得られたはずなのに、この一風変わった学者の名前は「あまり知られていない」。
なぜなら「動かない人生は、人生とはいえません」と、窮屈な研究室から飛び出し、秘境を旅する探検に情熱を注いだからだった。インドシナ半島の東側はフランス領になったばかりで、彼は山賊に槍で胸を突き抜かれ、瀕死の重傷を負いながらも、カンボジアまでの陸路を地図にした「最初の旅人」となる。
冒険の途上、ベトナム・ナトランに腰を下ろし、天文学、測地学、民俗学、植物から家畜の繁殖まで、科学者の枠にはまらない人生を満喫していた。ここは、のちに「地上の楽園」とよばれるリゾート地に発展する。その自由人のもとに、パリのパストゥール研究所から電報が届いた。
「香港に至急とんでほしい……ペストが大流行している」
死体の山を前に、日本からは、コッホに学んだ北里柴三郎が来ていた。二ヵ月後、二人は「壮大なペスト物語にけりをつけた」。ペスト菌を最初に採取したのはイェルサンで、北里の発見は、ペストで「併発した肺炎球菌」だった。
権威にもノーベル賞にも関心がなかった彼は、ナトランの地にもどり、ゴムやワクチンの量産で得た資金を恩師が残した研究所のために役立てたという。無欲な野心家の、知られざる冒険譚である。
※週刊ポスト2014年7月11日号