海外メディアにまで取り上げられ、号泣県議は世界的な「ネタ」にまでなった。しかし憤ったり非難ばかりするのが「大人の流儀」なのか。「いや、あの県議をどうにかしてホメるのが大人の心意気」と、大人力コラムニスト石原壮一郎氏が挑む。
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あれだけインパクトのある映像は、なかなかありません。兵庫県の野々村竜太郎県議は、7月1日に行なわれた使途不明の政務活動費についての釈明会見で、呆れていいのか笑っていいのか心配していいのかわからない「大号泣」を見せてくれました。
さらに2日には、報道各社に「私に対する一切の(取材)活動を自粛するよう強く申し入れます」というファックスを送付したとか。泣き叫びっぷりといい「自粛」を自分から申し入れる発想といい、どこから突っ込んでいいのかわかりません。
今、この号泣県議に対して、非難の集中砲火が浴びせかけられています。むべなるかなとも思いますが、ただ、世間の風向きに素直に乗って非難したり笑ったりするだけでは、大人として単純すぎるのではないでしょうか。
思えば「世間」は、佐村河内さんといい小保方さんといい塩村都議といい、次々と「生贄」を見つけては目先の溜飲を下げています。標的を見つけると、すぐに「正義」という名の剣を振り回したがるのは、けっこうみっともなくて醜い姿と言えるでしょう。
一度しかない人生です。怒ることや攻撃することにエネルギーを費やすのはもったいない話。野々村県議というわかりやすい困ったちゃんに対して、マイナスの感情ではなく称賛や感謝といったプラスの感情を抱けたとしたら、とても素晴らしいことです。大人としてひと皮むけるために、そんな崇高な行為にチャレンジしてみましょう。
では、さっそく始めます。かなり支離滅裂ではありましたが、あれだけ質問とかみ合わない言い訳をできるのは、なかなかたいしたもの。ほとんど涙も出さずに大声で泣き続け、ひとりよがりな主張を繰り返す勇気や度胸や無神経さは、なかなか持てるものではありません。すべてを自分に都合よく解釈する「手前味噌力」も半端ではなさそうです。
さらに、野々村議員は「政治家は、この程度の人間がやっている」ということを身を持って教えてくれました。県会議員がそうなら、国会議員もきっと同類でしょう。政治家の言うことをアテにしてはいけない、耳触りのいい論理に騙されてはいけない、いくら「安全」とか「安心」とか「国民のため」とか言っても、しょせんその場しのぎの詭弁に過ぎない――。あらためて、そう思い知ることができました。ありがたいことです。
うーん、なんだかホメようとすればするほど、感謝しようとすればするほど、どんどん貶めてしまう気がしないでもありません。そんな違和感を通じて、物事にはできることとできないことがある――。無理にホメようとすると逆にバカにしているように聞こえてしまう――。そんな教訓も得ることができました。ますます、ありがたいことです。
しばらくはその動向をしっかり見守って、大人の心意気でがんばってホメたり感謝したりさせていただきましょう。少なくとも、一生懸命に罵るよりは建設的で健康的です。