東京・原宿を中心にグルメポップコーンブームである。いかにもアメリカンなこの食べ物、しかしその「原型」は日本国内で16世紀から食べられていたという。食文化に詳しい編集・ライターの松浦達也氏が解説する。
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ポップコーンの人気がハネている。原宿では複数の専門店に行列ができ、「原宿ポップコーン戦争」と呼ばれるほどの活況だ。2013年に「ギャレットポップコーン」「ククルザポップコーン」が相次いでオープン。今年、健康志向の強い「ドックポップコーン」も原宿に進出した。中目黒の「HillValley(ヒルバレー)」も合わせてにわかに東京はグルメポップコーン都市の様相を呈している。
現在の国内におけるポップコーンのスタイルは、終戦後にアメリカから持ち込まれたものがベースとなっている。しかし日本におけるポップコーンは、呼称は違えども実は、はるか以前から親しまれていた。
その中核となったエリアが四国だ。日本にとうもろこしが上陸したのは1579年のこと。ポルトガル船によって、長崎もしくは四国にフリントコーン(硬粒種)が持ち込まれ、四国では早い時期からとうもろこしを加熱して爆発させたものを食べていた。ちなみにフリントコーンとは、現在のポップ種(爆裂種)のもとになった品種である。
大正時代~昭和初期の食生活の記録を都道府県ごとに残した農文協の「聞き書」シリーズをひもといてみると、当時から四国では「焼いてはじかせた、真っ白い花のように開いたきれいで香ばしい」とうもろこしをおやつなどにしていたという記述がある。徳島で「はぜとうきび」、愛媛、高知では「花きび」。さらに紀伊水道の四国対岸に当たる和歌山でも「花」と呼ばれて親しまれていたという。
他の地域でも江戸期から明治にかけて四国で育まれた和製ポップコーンが和歌山へと伝わったと考えるのが自然な道筋だ。
その他のエリアでは明治期に開拓が進んだ北海道でも、大正から昭和初期には「はぜきび」「はぜきみ」という名で、はぜたとうもろこしを「砂糖あめ」や黒砂糖、水飴などでからめていたという。現在のグルメポップコーンにおけるキャラメル味に似た位置づけといったところか。
ブームやトレンドは「28年周期で訪れる」という説がある。いまから28年前と言えば1986年、東京・吉祥寺に日本初と言われる路面ポップコーン販売店「ザ・パップコーン・ピープル」がオープンした年だ。さらにもう1回転さかのぼると、1957年には日本初のブランドポップコーンで現在もNo.1ポップコーンブランドとして知られる「マイク・ポップコーン」が発売されている。
ポップコーンという食べ物は、安居酒屋のお通しで供されるなど、なじみがあるのに軽く扱われてきた感もある。確かに食感は軽い。だが日本における歴史は決して軽くない。この数年、映画館のグルメポップコーンの進化を土台に、その人気は底上げされてきた。2014年のポップコーンブームは、もう一段の爆発力をもってその先へと届くのだろうか。