中国の李鵬・元首相(85歳)が回顧録を出版したが、その内容は自身が生まれた1928年から副首相時代の1983年までで、天安門事件が起こった1989年の首相時代に触れていないことが大きな話題になっている。李氏は学生運動が激しさを増した5月に戒厳令を敷くなど、天安門事件の際にも軍導入を強く主張したと伝えられており、回顧録出版でも、その際の自身の言動を意図的に隠す必要があったとの見方が強まっている。
李氏の回顧録は中国で最も権威がある出版社の一つ、中央文献出版社が手がけた。『李鵬回顧録1928-1983』とのタイトルで、生誕から副首相就任の1983年までの55年間を振り返っている。また、これまで公開されていない写真を含む130点あまりの史料を使用しており、「歴史的にも貴重」と新華社通信は報じている。
しかし、回顧録では李氏が最も活躍した首相時代前後の記載がないことについて、米国に拠点を置く中国情報専門の華字ニュースサイト「多維新聞網」は「李氏は天安門事件当時の悪評を気にしており、回顧録にも自身の立場を書くのに意欲的だったが、当時の指導者が反対。李氏も妥協せざるを得なかったのではないか」と指摘している。
今年の天安門事件25周年記念日でも、中国内の民主化活動家は身柄を拘束されるなど、運動は完全に封じ込められており、そのような当局の頑なな姿勢は活動家ばかりでなく、李首相のような当時の最高指導者にも及んでいることになる。
習近平・国家主席に関する『習近平の正体』(小学館刊)の著書もある中国問題に詳しいジャーナリストの相馬勝氏は次のように指摘する。
「民主化運動や政治問題に関する習近平主席の態度は極めて強硬であり、中国共産党の一党独裁を守るために軍を導入した当時のトウ小平氏ら最高指導部の立場を覆すことは今後もないだろう。
李氏は当時首相で、トウ小平氏らの決断に迎合したわけだが、党序列ナンバー1だった趙紫陽・党総書記(当時)は公然とトウ氏に叛旗を翻して、その結果、死ぬまで軟禁状態に置かれることになった。李氏の首相としての責任は今後も追及され続けるだろう」