現在愛子さまの登校状況が注目されている。というのも、6月26日に発売された『週刊文春』(7月3日号)に<雅子さまと愛子さま「登校拒否」再発と「23時の食卓」>という記事が報じられたからだった。
同誌によれば、桂宮さまの「斂葬の儀」(れんそうのぎ)が行われた6月17日に愛子さまは学校をお休みされた。4月に中学生になられてからは初めての欠席だった。この理由について、小町恭士東宮大夫は定例会見で「詳しくはうかがっていないが、新しい環境でお疲れが出たのではないかと思う」と語ったというが、この日を境にして、愛子さまの“遅刻”が相次ぐようになっていく。
『週刊文春』によれば、欠席した翌日の18、19日、そして23日はお昼を過ぎてからの登校だったという。また本誌の取材では、これらに加えて6月20日、そして27日にも午後からの登校が確認できた。つまりお休みされた17日以降の10日間のうち半分は午後からの登校ということになる。
「登校」こそされているものの、やはり愛子さまの登校状況が“不規則”になっているのは間違いない。こうなると思い返されるのが、初等科2年生時に起こった「いじめ」問題だ。「いじめ」によって、おひとりで登校できなくなってしまった愛子さまのために、以後、1年9か月にわたって雅子さまが同伴登校を続けられたのは記憶に新しい。
この愛子さまの不規則な登校の原因のひとつは「皇太子さまの不在だ」と皇室記者は語る。
「皇太子さまは6月17日の斂葬の儀を終えられた後、公式訪問のため、スイスへと旅立たれました。帰国されたのは6月23日、愛子さまの遅刻のほとんどはこの期間に起こっていますから、少なからず影響があったのは否定できません」
さらに『週刊文春』によれば、雅子さまの夜型の生活リズムに愛子さまが合わせられたことも問題だったとしている。
<登校拒否の始まった十七日の夜、雅子さまと愛子さまはお二人で夕食を召し上がっています。時間は深夜、二十三時です>
同誌はこんな東宮関係者の証言を掲載している。教育評論家の深谷昌志氏はこう言う。
「愛子さまも成長され、雅子さまのご病気のことを理解できるようになったのではないでしょうか。ですから、皇太子さまが不在ということで、愛子さまは自分なりに“お母さまの役に立ちたい”という思いから、雅子さまに合わせたのかもしれませんね。遅刻にしても、朝が苦手と伝えられる雅子さまが起きてこられるのを待ってからのご登校だった可能性もありますよね」
“母子密着”といわれる母娘関係が生んだ不規則な登校といえよう。
そして愛子さまの足が学校から遠のかれる理由が、校内にもあった。女子中等科には初等科からの持ち上がり組以外に多くの受験組の生徒が入学しているが、この新たなご学友たちとの距離に苦悩されているというのだ。学習院関係者はこう語る。
「愛子さまは初等科時代からの仲良しグループといつも一緒で、他の生徒たちが入り込む隙がないんです。愛子さまのほうも積極的に受験組にはかかわろうとしないようです…。他の生徒たちは部活動などを通じて受験組とも仲良くなっていくんですが、愛子さまは部活も入っていませんからね。
そのためか、仲良しグループの子は愛子さまを“トシ”とか“トッシー”とか親しみを込めて呼ぶんですけど、受験組は“敬宮さん”って…。やはり他の生徒たちが友人関係の輪を広げているのを間近でご覧になって、愛子さまもジレンマをかかえていらっしゃるのではないでしょうか」
※女性セブン2014年7月17日