今や日本の夏の定番料理となった、冷やし中華のトリビアを紹介。そもそもその発祥は、東京・神田の「揚子江菜館」説と宮城・仙台の「龍亭」説の2つある。昭和8年、蕎麦好きの店主がざる蕎麦を食べているときに閃いたのが東京の「揚子江菜館」。仙台「龍亭」は、売り上げが落ちる夏場対策で試行錯誤の末に完成。昭和12年のことだった。
とはいえ、当時ラーメンといえば温かい麺のイメージが根強く、夏限定であっても冷たい麺を出すと「こんなもの食えるか!」と客に突き返されることもあった。しかも、中華そば1杯10銭の時代になんと25銭。厳しい船出だったが、その後改良を重ねていつしか全国区の定番料理となった。
冷やし中華の見た目が食欲をそそる理由の一つは、錦糸玉子や清涼感溢れるきゅうりなど、目に鮮やかな具材の盛りつけ。考案したのは元祖の一つとされる東京「揚子江菜館」の店主。周辺に高い建物がなかった当時、店の窓から一望できた富士山の雄姿に“インスパイア”されて生まれたのが、世に名高い「富士山盛り」。同じ大きさに切り揃えられた10種類の具が見事に盛り上げられ、初めて見る人はしばし箸が止まるという。
「富士山盛り」で話題を集める東京の「揚子江菜館」に遅れること4年、仙台「龍亭」が冷やし中華を始めた。それでも「龍亭」が元祖と呼ばれる理由は「タレ」にある。冷やし中華の王道ともいうべき独特の甘酢ダレを生み出したのが理由である。当初、砂糖を使いつつも醤油の味と酢の酸味が強かったが、改良を重ねて冷やし中華の味を確立した。
ちなみに、冷やし中華の正式名称は「涼拌麺(りゃんばんめん)」。「拌」は中国語で「和える」という意味で、東京と仙台の「二大元祖店」でも涼拌麺が使われている。仙台「龍亭」によれば、「冷やし中華」の名付け親はお客様とのこと。その昔、五目そばを五目中華といったように、冷たい中華そばは冷やし中華と呼ばれて浸透した。庶民がつけた名前の料理が、やがて国民食となって全国津々浦々に広まっていった。
撮影■岩本朗
※週刊ポスト2014年7月18日号