忙しい毎日を送っている女優・戸田恵子さん(56才)だが、9年前、がんと認知症を患った母親を74才で亡くした。上京や結婚を機に別々に暮らしていた時期もあるが、彼女の人生の半分以上は母娘のふたり暮らしだったという。母親を東京の自宅に呼び寄せ、介護は彼女が一手に引き受けた。
「私が数日間、ロケなどで出てしまう時は介護施設のショートステイも利用しましたが、母はもともと人といっしょにいるのがそんなに得意ではないタイプ。施設には順応できませんでした。
ヘルパーさんにお願いすることも考えましたが、それも母が気を使うので、やっぱり私がやるしかない。自分の親ですから“私がやらねば誰がやる”と」
周りからは「そんなにがんばらなくても…」と心配されたが、ギリギリまで、倒れるまでやりきろうと思った。
「今振り返れば“火事場の馬鹿力”じゃないけど、われながらどこにそんなエネルギーがあったんだろうと思います。当時は家の床に何か置いておくと母がけつまずいてしまうかもしれないからと、とにかく家の中をキレイに、塵ひとつ落ちていないような状態。でも、母を看取ってひとりになったら、あっという間に散らかりました」
端から聞けばやりきった感のある介護に感じるが、それでも悔いは残っている。
「今でももっとやってあげられることがあったんじゃないかって思います。“もう少しやさしい言葉をかけられたんじゃないか”“もっと抱きしめてあげればよかった”と悔やんでばかりです」
母親がいつ認知症を発症したのかは、戸田さん自身、はっきりとはわからないという。
「最初はまったく見抜けませんでした。母は気が強くてしっかりした人なので、いろんなことがわからなくなった時はイライラして“どうしたの。しっかりしてよ”の連発で」
加えて70才直前に見つかったがんが進行するにつれ、どんどん気が弱くなっていった。
「そんな母を見るのがすごくいやで、なんとかシャンとしてほしいと文句ばかり言っていました。弱々しい母を見たくないと目を逸らしていたんです。がんは何度も再発したので、衰弱していく母を私は受け止めきれなかった。弱くなるほど、反比例するかのように強い言葉を放ってしまったりしていました」
仕事に出かける前に朝と昼の食事を作り、途中、夕食の支度のために自宅に戻り、また現場へ。セリフは移動の車中で覚え、もし10分でも時間が空けば様子を確認するために帰宅した。まだ体が元気な頃は母娘でたびたび旅行もしたという。
周囲は“よくやった”“お母さんは幸せだったよ”などと声をかけてくれるが、介護を経験した人はみんな、何かしらの悔いが残る。
「そのころに撮影していたドラマが『離婚弁護士II~ハンサムウーマン~』(フジテレビ系)なんですが、最近、再放送をやっていて、それを見た時、当時の記憶がまざまざとよみがえってきましたね。母を看取って、翌日にその現場に行ったことや、その時の撮影の雰囲気など鮮明に覚えていて胸が痛くなりました。
“昨日の撮影の時はまだ生きていたけど、今日の撮影ではもういない”って。私にとってこんな大変なことが起きても、世の中は進んでいくんだなという感情も覚えていますね。 だけど、演技はいやになるぐらいちゃんとこなしている。われながらすごいなと思いました」
※女性セブン2014年7月24日号